周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

楽音寺文書(完)

楽音寺文書60 その3(完)

六〇 安芸国沼田庄楽音寺略縁起写 その3 *『広島県史』の読点の打ち方を変更したところがあります。 天子下問曰賊徒之為レ似レ何也、対曰殆非二人倫一如二鬼神一已、帝曰夫如二鬼神一 則以二仏力一可レ闘也、卿再征補二前敗之咎一、倫実弥感二医王之霊験一…

楽音寺文書60 その2

六〇 安芸国沼田庄楽音寺略縁起写 その2 *『広島県史』の読点の打ち方を変更したところがあります。 純友此時據二備前州釜島城一、妨二往来之船一奪二運送之資一、倫実率二官軍一攻二 釜嶌一尽レ力闘戦賊勢熾盛官軍敗積、或打二落海底一或斬二倒船中一、倫…

楽音寺文書60 その1

六〇 安芸国沼田庄楽音寺略縁起写 その1 *『広島県史』の読点の打ち方を変更したところがあります。 安芸国沼田庄楽音寺縁起 歓喜山楽音寺奉二 朱雀帝詔一志度司〈藤原」倫実〉所レ建之精舎也、扇二毘首羯磨 〔絵〕 (平)(藤原)(云脱) 風一稽二文会之…

楽音寺文書59 その6(終)

五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その6 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。 この縁起の研究…

楽音寺文書59 その5

五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その5 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。 この縁起の研究…

楽音寺文書59 その4

五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その4 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。 この縁起の研究…

楽音寺文書59 その3

五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その3 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。 この縁起の研究…

楽音寺文書59 その2

五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その2 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。 この縁起の研究…

楽音寺文書59 その1

五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その1 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。 この縁起の研究…

楽音寺文書58

五八 比丘尼浄蓮自筆寄進添状 ◯東大影写本ニヨル (浄蓮) (花押) (楽音寺) (田) (畠) (寄進) (意趣) (塔) (造営) かくをんしへ、このたと、はたけとを、よせまいらす、いしうハたうの御さうゑい (塔) (浄地坊) (計) の御ためなり、た…

楽音寺文書57

五七 小早川隆景書状(切紙) 猶々在陣之儀候之間、万々憑存候、 若宮御造営之事申談之様候、然者頃可レ被二相初一之条、為二奉行一横見助右衛門尉 差出候、万端被二仰聞一、頓御造畢、可レ為二祝着一候、猶彼者可レ申候、恐々謹言、 卯月十九日 隆景(花押…

楽音寺文書56 その2

月のべ 安楽坊分 大坪 田一反 米一石一斗 助三郎 同所 同領 畠廿歩 代十四文 同 人 同所 月光坊分 寺田 田四畝 米三斗六舛 二郎兵へ 念仏田 勝実坊分一反壹畝十歩 目王丸 田壹反一畝十歩 米八斗四舛 弥 七 六名 畠壹町二反九畝 代貳貫五百八十文 孫 七 中屋…

楽音寺文書56 その1

五六 法持院領検地帳 丙 法持院領検地帳 申 法持院領検地野取帳之写 苗代か坪 まつゑ 田貳反八畝 米三石六斗八舛 壽 濟 手所 田中 田六畝廿歩 米八斗 十郎兵衛 同所 田三反五畝 米三石五斗 同 人 かわら免 おうか 田貳反三畝十歩 米三石五斗 宮 内 さやさき …

楽音寺文書55

五五 安芸国豊田郡梨子羽郷南方打渡状 芸州豊田郡沼田庄 〈梨子羽」南方」打渡〉 合 薬師油免 畠二反九畝 代五百九十五文 善哉坊 竹ノ下 畠壹反二畝 代百三十二文 弥 六 阿ふら免 畠一反四畝十歩 代三百五十七文 安楽坊 西ノかいち 安楽坊 屋敷二畝 代百四十…

楽音寺文書54

五四 毛利輝元定書写 一依三良融為二西方之首職一、与二宥文一有二雲泥一之由雖レ募二其旨一、前住祐聖 対二宥文一譲状明鏡上者、可レ為二楽音寺本願兼東方之首務一事勿論候、向後両門 之僧侶結二徒党一、不レ可レ企二私之申分一候事、 一楽音寺領之事、任二…

楽音寺文書53

五三 毛利輝元寄進状写 寄附状 一楽音寺山林境内 一町四反四畝 一寺領百石余 内北方之内寺内 四拾石余 甑社領 拾貳石余 山王社領 八石余 龍王社領 三石余 山崎領 七石余 二尊領 三石余 善入寺領 四石余 光台寺領 一石余 観音寺領 一石余 天福寺領 一石余 釜…

楽音寺文書52

五二 一宮修正会役人注文 (端裏書) 「一宮正月二日修正之次第」 定 (豊田郡沼田庄) 一宮正月二日御修正役人事 初夜導師 一人 平坂〈従僧一人」大懺悔一人〉 呪願師 一人 有羽 後夜導師 一人 学頭分従僧一人 三十二相 一人 円御堂 唄 円御堂 散花 一人 江…

楽音寺文書51

五一 小田景盛寄進状 (安芸豊田郡) 釜山之貳反之内壹反」六斗代反銭ふたへともニ」末代寄進申候、永代可レ有二知行一 候、其」方死去候者何之寺家江茂可レ有三」寄二進之一候、為二後年一如レ件、 (1586) 小田又三郎 天正拾四年〈丙戌〉貳月吉日 景盛(…

楽音寺文書50

五〇 小早川隆景自筆書状 (持) 法寺院物語之儀、心静ニ」内儀被レ聞候而、分別候様ニ」頼入候、猶内蔵主可レ 申候、謹言、 正月廿七日 隆景(花押) (捻封ウハ書)(小田景盛) 「 又三郎殿 隆景」 「書き下し文」 法持院物語の儀、心静かに内儀を聞かれ…

楽音寺文書49

四九 頼源法印置文 (安芸豊田郡) 一就二新発意契約一、潤月御影供、為二反役其支度一、釜山」下六斗代段銭二重共、 米参拾貳俵御礼ニて、末代」法持院江寄進申候、反銭一重者何之新発意成共、 (小早川) (景盛) 契約」首尾号二 御影供銭一進之置候、彼…

楽音寺文書48

四八 小早川弘景自筆書状 御寺領夫丸侘事」之由承及候、然者」日からおもわ敷候ハね共、」ふと渡海御祈」念 奉レ期候、為二御布」施一免除申候也、雖下無二」御等閑一候上、弥御祈念」奉レ憑 候、連々」陣中より可レ申候、」暮之十日十日罷」出度候へ共、存…

楽音寺文書47

四七 小早川煕平課役免状(切紙) 若宮経免」田之事、任二先」例一諸役所二免」除申一之状如レ」件、 文安元(1444) 二月廿九日 煕平(花押) 法持院 御同宿御中 「書き下し文」 若宮経免田の事、先例に任せ諸役免除し申す所の状件のごとし、 「解釈」 若宮…

楽音寺文書46

四六 小早川興景書状(切紙) 至二遠国緬々一御使」僧快然候、歳暮之儀」御斟酌候へ之由申候間」忝候、不二 尋申一候哉、御隔心と」却而迷惑候、爰許大切」之筆三対御濃情之至」更難二 申尽一候、明春者」早々以二面拜一諸慶可二」申述一候、恐惶謹言、 十一…

楽音寺文書45

四五 小早川煕平書状 去十八日之御書委細拜見仕候、」乍二御返事一巨細蒙レ仰候、誠畏入」存候、愚意 之義委申入、御心中」委細蒙レ仰候、悦喜此事候、 一若宮田事可レ任二先例之趣一、」堅可二申付一候、先年諸公事不レ可レ」申之由申て 候ハんには、今度致…

楽音寺文書44

四四 小早川仲好軍役免状 (蟇沼)(楽音) (姓) (軍役) (領) ひきぬかくおん寺両寺之」百しやうともくんやくの事、」りやう中に、いさゝかの 事も、」いてき候ハんする時ハ、御合力」あるへく候、そのほか他国」他所の人、 ミつきなんとの」ときハ、…

楽音寺文書43

四三 小早川仲好安堵料足免状 安芸国沼田庄梨子羽郷南方内」楽音寺院主職継目安堵料足事 右於二彼安堵料足一者、自二往古一雖レ」令レ致二其沙汰一、依レ有二各別宿願一、」 自二仲好代始一而、至二于子々孫々一、永代」令三停二止之一者也、不レ可レ有二異…

楽音寺文書42

四二 小早川仲好安堵状 安芸国沼田荘梨子羽郷内」楽音寺 南方院主代事 右於二彼代官職一者、向後可レ為二」院主之計一者也、若於二違乱」煩輩一者、可レ 処二罪科一者也、」仍為二後日一安堵之状如レ件、 (1389) 康応元年〈己巳〉六月七日 平仲好(花押) …

楽音寺文書41

四一 小早川仲義宛行状 宛行 梨子羽郷内楽音寺西方三分二院主職事 右於二当寺三分二寺務職一者、任二鏡賢譲」状旨一、頼真所二宛行一也、有レ限寺役」 至二御祈祷一、守二先例一無二懈怠一」可レ令二勤行一之状如レ件、 (1384) 至徳元年十二月五日 平仲義…

楽音寺文書40

四〇 小早川義春自筆書状 楽音寺南方三分二之院主」職事、此之間自二方々一承二子細一候へ共、」重代相伝 (管) 無二相違一之由承候間、」如レ元可レ有二御官領一候、就二其者代」官職事一、自二 (由緒) 円御堂方一ゆい」所ある之由申され候、無二子細一…

楽音寺文書39

三九 御室任助法親王令旨 金剛坊今度被三成二下」院号一之由、」御室被二仰出一候也、」仍執達如レ件、 天正十二年(1584) 五月廿二日 法眼(花押) 金剛楽音寺院権大僧都御房 「書き下し文」 金剛坊今度院号を成し下さるるの由、御室仰せ出だされ候ふなり…