経覚私要鈔
文明四年(1472)五月二十三日条 (『経覚私要鈔』9─144頁) 廿三日、己未、霽、 (中略) (発心院) 定清僧都来、茶一種随身了、物語云、去十四日雨ハ布留大明神被下雨也、 然春日大明神被押置之処、雨ヲ下条不可然之由御忿之間、布留御殿付火焼 …
文明三年(1471)八月十七日条 (『経覚私要鈔』9─29頁) 十七日、丁巳、 (中略) (覚尋) (九條政忠) (悚悚) (添上郡) 一東南院房官永家語申先内府云、一日比シヤウヽヽヽトシタル女房、手害ノ 鑵子屋云々、 チキリ屋ニ来テ、ハタコヲアツラ…
文明三年(1471)八月十四日条 (『経覚私要鈔』9─25頁) 十四日、甲寅、霽、 (中略) (実世)宮内卿公宥源 (摂津住吉郡) 一八条三品子息住吉辺ノ寺〈千住院」住人也、〉語云、五月比住吉神馬二疋 (マヽ) (津守国昭) 在之、五日分二疋ナカラ…
寛正三年(1462)五月十三日条 (『経覚私要鈔』5─293頁) 十三日、丁未、霽、(中略) 一或説云、自相国寺池火柱三本立了、一ハ仏殿方ヘ倒了、一ハ室町殿方ヘ倒了、 一ハ南ヘ倒了云々、令卜筮之処、南ヘ倒ハ南都希也占申云々、可恐々々、 「書き下…
寛正三年(1462)五月二日条 (『経覚私要鈔』5─288頁) 二日、丙申、天曇、 (中略) (成身院) 一随身院経誉僧都来、語申云、相国寺内より障子ノ勢ホトノ物光テ西ヲ指飛、此条 (×入) 可申入欤如何哉之由、面々談合之処、不申入者不可然之由面々…
寛正三年(1462)四月十六日条 (『経覚私要鈔』5─277頁) 十六日、辛巳、霽、(中略) 一猿沢池反色候、以外事候、次於西御門前蛙戦候、一方ハ慈尊院前出る候ける、 〔仁〕 人々多以見云々、両篇先以可謂希欤、可驚、次元興寺二王躰罷出見之候、 い…
寛正二年(1461)十一月二十五日条 (『経覚私要鈔』5─184頁) 廿五日、(中略) 一或者語云、於山東谷猿生子、此子人也、人嘆之、猿返答云、来月内ニ三日帷を 着ヘキ事可在之、其ヲ咲カシト云説在之、 「書き下し文」 一つ、或る者語りて云く、山の…
寛正二年(1461)五月二日条 (『経覚私要鈔』5─151頁) 二日、霽、 (尋尊) 禅定院御房一両日以前見夢云々、其趣ハ、モトノ寝殿ニ愚老并僧正両人在之、 西ノ射駒山ヲ見心地ス、其山邊月三在之、不思義ノ思ヲナシテ、モトアリシ渡廊 ヲ下ル心地ハ、…
「妖怪 女面鯉鳥(にょめんりちょう)」 (『安位寺殿御自記』42巻─4枚目、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0410000000/0000000975/00) 【史料1】 長禄四年(1460)原表紙…
長禄二年(1458)十二月一日条 (『経覚私要鈔』4─106頁) 朔日、乙卯、霽、寒風超過者也、(中略) 一去廿七日玉手大宿所ニ有酒宴、五更時分事終了、其刻五十人計声ニテ切入、 多分醉臥之間、少々起合処無殊事之間、成不思儀〔議〕思、神慮難量之由…
【史料1】 長禄二年(1458)七月二十五日条 (『大乗院寺社雑事記』1─440頁) 廿五日 一室町殿義─政 御拜賀、扈従公卿 (中略) (語) 一九条大納言殿御共三条実文朝臣、於殿中腹気子細在之、言悟道断次第、 先代未聞事云々、 「書き下し文」 一つ…
長禄二年(1458)五月二十九日条 (『経覚私要鈔』4─25頁) 廿九日、乙卯、霽、 (懐英) 北面賢春法師来語云、於社頭大宮殿後辺、神鹿事外臥之間、神人等走出見之処、 テン鹿ノヒタヰニ食付、依之臥欤間打放了、然而於鹿死云々、希代不思儀也、 〔奇…
「妖怪 サルイタチ」 康正三年(1457)六月十三日条 (『経覚私要鈔』3─204頁) 十三日 乙巳、霽、(中略) 一去月廿八日男山八幡宝殿人五六人も取合音為之間、告社僧開見之処、カホハ猿、 〔互ニヵ〕 身ハイタチノ如ナル者二人□□食合死了云々、希代…
享徳二年(1543)三月一日条 (『経覚私要鈔』3─51頁) 朔日、戊午、霽、(中略) 〔戌、下同ジ〕 (幸徳井) 〔マヽ〕 一夜前戊刻、光物愚坊東辺ヨリ飛之由金正申之間、相尋友幸之処、可為戊刻者非 〔為脱ヵ〕 〔ツヵ〕 人魂候、若亥刻者可為人魂之…
宝徳二年(1450)三月二十四日・二十七日・四月三日条 (『経覚私要鈔』2─109・111・116頁) 廿四日、戊辰、雨、(中略) 一或者語云、於南都希共在之、先去廿日比欤、猿沢池上死人浮上、 若人身ヲナクル欤、不分明、是一、 於一言主狐神楽ヲ…
宝徳元年(1449)七月二・五日条 (『経覚私要鈔』2─45・46頁) 二日、 有少盃、在安上洛了、 〔一〕 □在安語云、越中国ニ椎名知行分内、夜々作物ヲ荒之間、郷村ノ人共夜待為之、 如案田畠損之者在之、仍取マハシテ打之、一人ハ打留之、一人クミ留…
「盛られた蛇」 文安四年(1447)閏二月十九日条 (『経覚私要鈔』1─167頁) 十九日、辛巳、甚雨、 (西忍) 楠葉語云、天王寺ニ在蛇、角在之、ヒレモ立、長三尺計、其色金色也云々、 人多以見之、出現吉凶如何、此間事云々、後聞、此蛇ハ本堂石破目…
「物言ふ狐」 文安四年(1447)閏二月六日条 (『経覚私要鈔』1─161頁) 六日、戊辰、霽、以外寒、(中略) (安位寺)(俊祐) 十七日(墓ヵ) 一先日当山浄土院語云、去月於布施蟇西社、狐物ヲ云、其云事ハアラカナシト二度 マテ云ケル云々、以外…
「イカれた女」 文安四年(1447)二月十一日条 (『経覚私要鈔』1─151頁) 十一日、癸卯、天曇、(中略) 〔柏槇、下同ジ〕 一木阿語云、興福寺西金堂ノ前ナル白眞木、枝トモ烏食折、假令人ノヲリカヌル ホトナルヲモ折云々、以外事欤、又春日社ノ金…
【史料1】 康正三年(1457)七月二十二日・八月四日条 (『大乗院寺社雑事記』1─195・204頁) 廿二日 一社頭神人共高山ノ池ヲカユ、為祈雨也、然間高山ノ上計ニ大雨下テ、山計ノ外 無其儀、希事也、(後略) 四日 (中略) 一龍花院方於天満拜殿…
【史料1】 永享六年(1434)七月十一日条 (『満済准后日記』下─594頁) 十一日。晴。(中略) 一去比法性寺大路辺へ白蝶降下云々。豊年瑞之由。諸人申入旨三位法眼申入之間。 先規若如此事在之歟之由。御尋大外記業忠処。両度例注進之。最初天暦年…
永享八年(1436)二月二十四日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』5─242頁) 廿四日、小雨降、(中略)次北野参、欲所作之処、念珠緒切了、是吉瑞云々、仏神之 前所作之時緒切事、所願成就之瑞云々、殊珍重也、(後略) 「書き下し文」 二十四日、小雨降る…
宝徳二年(1450)七月十九日条 (『康富記』3─190頁) 十九日辛酉 晴、 (中略) 或語云、和泉守護細川兵部少輔去年被誅山臥之間、都鄙山臥楯籠新熊野社頭、呼集諸 国山臥、率大勢、一昨日可押寄兵部少輔屋形、(割書)「綾小路万里小路、」且新熊 …