寛正二年(1461)十一月二十五日条
(『経覚私要鈔』5─184頁)
廿五日、(中略)
一或者語云、於山東谷猿生子、此子人也、人嘆之、猿返答云、来月内ニ三日帷を
着ヘキ事可在之、其ヲ咲カシト云説在之、
「書き下し文」
一つ、或る者語りて云く、山の東の谷に於いて猿子を生む、此の子人なり、人之を嘆く、猿返答して云く、来月の内に三日帷を着るべき事之在るべし、其れを咲へかしと云ふ説之在り、
「解釈」
一つ、ある人が語って言った。「山の東の谷で猿が子どもを生んだ。この子どもは人であった。人はこれを嘆き悲しんだ。猿が返答して言った。『来月のうちに三日間、帷を着なければならないことがあるはずだ。それを笑ってくれよ』」と。このようなうわさ話があった。
Someone told me. "A monkey gave birth to a child in a valley east of the mountain. This child was a human. The person who saw it mourned. The monkey replied. You must wear a kimono for three days in the next month. Please look at me and laugh at me." There was such gossip.
(I used Google Translate.)
【考察】
改めて解釈を繰り返すことはしませんが、今回の記事はなんともよくわからない話でした。よくわからないのは、解釈ができないからでもあるのですが…。とりわけ解釈に困っているのは、「其ヲ咲カシ」という箇所。素直に「咲(さ)く」と読ませるのか、「咲(わら)ふ」と読ませるのか。また、終助詞の「かし」は命令形に接続しやすいそうなので、「咲け」・「咲へ」と読ませるのか…。
やはり、「咲く・咲け」では意味が通らないので、「咲ふ・咲へ」で解釈するべきなのでしょうが、それでも意味がわかりません。猿が帷子を着ることのどこが笑えるのか…。笑いのツボが異なるのか、私の解釈が間違えているのか。今回の記事は、もやもやしたまま終わろうと思います。