寛正三年(1462)五月十三日条
(『経覚私要鈔』5─293頁)
十三日、丁未、霽、(中略)
一或説云、自相国寺池火柱三本立了、一ハ仏殿方ヘ倒了、一ハ室町殿方ヘ倒了、
一ハ南ヘ倒了云々、令卜筮之処、南ヘ倒ハ南都希也占申云々、可恐々々、
「書き下し文」
一つ或る説に云く、相国寺の池より火柱三本立ち了んぬ、一つは仏殿方ヘ倒れ了んぬ、一つは室町殿の方ヘ倒れ了んぬ、一つは南ヘ倒れ了んぬと云々、卜筮せしむるの処、南ヘ倒るるは南都希なりと占ひ申すと云々、恐るべし恐るべし、
「解釈」
一つ、ある話によると、相国寺の池から火柱が三本立ち上がった。一つは仏殿の方ヘ倒れた。一つは室町殿の方ヘ倒れた。一つは南ヘ倒れたという。占わせたところ、南ヘ倒れたのは南都に驚嘆するべきことが起きると占い申し上げたという。恐れなければならない、恐れなければならない。
【コメント】
国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」によると、怪奇現象としての「火柱」は、全国的に「火事の前兆」とみなされることが多いようです(https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/simsearch.cgi?ID=2180019)。ただこのデータベースで紹介されているのはすべて現代の民俗事例で、前近代の事例は収集されていません。前近代の「火柱」研究はまだまだこれからなのでしょう。ひとまず、今回の記事から読み取れるのは、火柱が倒れた方角で、恐るべきことが起きるかもしれないという点だけでした。史料というのは、なかなかこちらの望む情報を語ってくれないものです。