宝徳二年(1450)三月二十四日・二十七日・四月三日条
(『経覚私要鈔』2─109・111・116頁)
廿四日、戊辰、雨、(中略)
一或者語云、於南都希共在之、先去廿日比欤、猿沢池上死人浮上、
若人身ヲナクル欤、不分明、是一、
於一言主狐神楽ヲ進ケル、是二、
一言主御供此間不取之云々、是三、
大仏汗カヽセ給云々、是四、
〔幕ヵ〕
元興寺吉祥堂張挙両方端食切、是五、
(春日社)
於御社猿ヲ猪食殺云々、是六、
御社安居障子絵、於勝南院因幡絵師所書之処、絵師共両三人喧嘩、一人被殺害
(×又)
了、仍此障子令穢之間、別沙汰直云々、是八、
条々希以外ノ慎也、猿沢池ヲハ廿一日ニカヱ[ ]井ノ水を入云々、其日
(幸徳井)
於池端友幸[ ]供沙汰之、御供共大風吹々倒了、是も[ ]事也
云々、旁以可慎々々、(後略)
〔廿七〕
□□日、辛未、(中略)
〔一春〕
□□日山、コントイ鳥鳴云々、不宜事之由謳歌云々、(後略)
三日、丁丑、霽、入夜雨下、至五更霽了、(中略)
一或者語而云、春日山ニ鳴コントイ鳥二羽在之内、一羽ハ神人射殺之、今一羽
追失欤云々、此間ハ鳴声不聞欤之由申之、
(興福寺)
一一言主狐供物事、寺門祈祷移両三日者雖取之、其後又不取之、定可有其果利
欤云々、可驚々々、
「書き下し文」
二十四日、戊辰。雨。(中略)
一つ或る者語りて云はく、南都に於いて希ども之在り、先づ去んぬる二十日ごろか、猿沢池の上に死人浮び上がる、若し人身を投ぐるか、不分明、是れ一つ、
一言主に於いて狐神楽を進らせける、是れ二つ、
一言主の御供此の間之を取らずと云々、是れ三つ、
大仏汗をかかせ給ふと云々、是れ四つ、
元興寺吉祥堂の帳幕の両方の端食ひ切らる、是れ五つ、
御社に於いて猿を猪食ひ殺すと云々、是れ六つ、
御社安居の障子絵、勝南院の因幡絵師所に於いて書くの処、絵師ども両三人喧嘩す、一人殺害せられ了んぬ、仍て此の障子穢れしむるの間、別に沙汰し直すと云々、是れ八つ、
条々の希以ての外慎むなり、猿沢池をば二十一日に替ゑ[ ]井の水を入ると云々、其の日池の端に於いて友幸[ ]供之を沙汰す、御供ども大風吹き吹き倒し了んぬ、是れも[ ]事なりと云々、かたがた以て慎むべし慎むべし、(後略)
三月二十七日、辛未、(中略)
一つ、春日山、こんとい鳥鳴くと云々、宜しからざる事の由謳歌すと云々、(後略)
四月三日、丁丑、霽る、夜に入りて雨下る、五更に至り霽れ了んぬ、(中略)
一つ、或る者語りて云く、春日山に鳴くこんとい鳥二羽在るの内、一羽は神人之を射殺し、今一羽は追ひ失ふかと云々、此の間は鳴き声聞かざるかの由之申す、
一つ、一言主の狐供物の事、寺門祈祷し両三日を移さば之を取ると雖も、其の後之を取らず、定めて其の果利有るべきかと云々、驚くべし驚くべし、
「解釈」
二十四日、戊辰。雨。(中略)
一つ、ある人が語って言った。南都で思いもよらないことがあった。まず、去る三月二十日ごろか、猿沢池のほとりで死人が浮び上がった。もしかすると、投身自殺だろうか。はっきりしない。これが一つめ。
一言主神社で狐が神楽を奉納した。これが二つめ。
一言主の御供、近ごろ狐はそれを取っていないという。これが三つめ。
東大寺の大仏が汗をおかきになったという。これが四つめ。
元興寺吉祥堂の帳幕の両端が食い切られた。これが五つめ。
春日大社で猿を猪が食い殺したという。これが六つめ。
春日大社の安居屋の障子絵は、勝南院の因幡絵師のところで書いていたところ、絵師どもが二、三人喧嘩した。一人は殺害された。そのためこの障子は穢れたので、別に作り直したという。これが八つめ。
個々の出来事は思いもよらないことで、斎戒しなければならないのである。二十一日に猿沢池の水を、用水を使って入れ替えたという。その日、池の端で幸徳井友幸が供物をお供えした。大風が吹いて供物などを吹き倒した。これも珍事であるという。どちらにしても斎戒しなければならない。(後略)
二十七日、辛未。(中略)
一つ、春日山でこんとい鳥が鳴いたという。よくないことだと噂したという。(後略)
三日、丁丑、晴れ。夜になって雨が降った。午前3時ごろになって晴れた。(中略)
一つ、ある者が語って言った。春日山で鳴いていたこんとい鳥が二羽いたうち、一羽は神人が射殺し、もう一羽は追い払っていなくなったという。近ごろは鳴き声を聞かなくなったと申している。
一つ、一言主の狐供物のこと。興福寺が祈祷し、二、三日過ぎると、狐は供物を取ったのだが、その後は供物を取らなかった。きっと一言主のご利益があるはずだという。驚いたことだ。
「注釈」
「一言主」
─興福寺境内の一言主神社(https://www.kasugataisha.or.jp/guidance/keidai-map3/modal-05/)。
「狐神楽」─未詳。考察について後述。
「コントイ鳥」─未詳。
*この記事を解釈するにあたって、笹本正治「猿沢池が血に染まる ─伝承と場のイメージ─」『中世文学』52、 2007・6、37頁、https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/52/0/52_52_34/_pdf/-char/ja)を参照しました。また、大仏が汗をかく現象については、三宅和朗「古代の仏像の不思議」『民俗学研究所紀要』44、2020.03、3・4頁、https://www.seijo.ac.jp/research/folklore/publications/academic-journals/jtmo420000000d0j-att/minkenkiyo_044_001.pdf)を参照。
【考察】
怪奇現象が謎だらけなのは当然のこと。むしろ謎だから怪奇現象なのですが、今回の史料にはまったくもって意味のわからない言葉が表現されているので、「謎だらけ」と銘打ってしまったのです。調査不足、不勉強…。それはそのとおりなのですが、わからないものはわからない…。
とくにわからないのが「狐神楽」。狐が神楽を奉納したのか、人間が「狐神楽」という神楽の演目を奉納したのか、「狐神楽」という物品(何らかの俗語・隠語)なのか、さっぱりわかりません。ただ、この記事はいわゆる怪奇現象を書き並べた部分なので、一応、狐が神楽を奉納したと理解しておきます。
さて、もしこの推測が正しいなら、それに続く「一言主御供此間不取之云々」という部分は、次のように解釈できるかもしれません。
「狐神楽」という現象が起きたので、寺僧らが供物を供えた。ところが、本来は狐がそれを持っていくはずなのに、持っていかなかったため、不吉な現象として書き上げられた、と。
ただ、このように解釈したとしても、「狐神楽」自体が何を意味しているのかがわかってくるわけではありません。とてもつまらないことにこだわっているだけのような気もしますが、わからないままではやはり気持ち悪いです…。
さて、もう一つわからないのが「コントイ鳥」。カタカナ表記であるために、何一つ推測を許してくれません。「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」を踏まえて、「言問鳥」などと漢字を当て、「都鳥」の別名だと説明できればかっこいいのですが、もはや何の根拠もありませんし、きっと間違えているのでしょう。都鳥は怪鳥でもなんでもない普通の鳥ですから、怪奇現象を書き並べた今回の記事にはふさわしくありません。もはや完全に手詰まり…。どなたか、答えを教えてください。