周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

バケモノの単位

「妖怪 サルイタチ」


  康正三年(1457)六月十三日条

        (『経覚私要鈔』3─204頁)

 

  十三日 乙巳、霽、(中略)

 一去月廿八日男山八幡宝殿人五六人も取合音為之間、告社僧開見之処、カホハ猿、

             〔互ニヵ〕

  身ハイタチノ如ナル者二人□□食合死了云々、希代表事也、又放生川水三ケ日

  澄流云々、旁不宜哉、

 

 「書き下し文」

  十三日、乙巳、霽る、(中略)

 一つ、去月二十八日男山八幡宝殿人五、六人も取り合ふ音為すの間、社僧に告げ開き見るの処、顔は猿、身は鼬のごとくなる者二人食い合ひ死に了んぬと云々、希代の表事なり、又放生川の水三ケ日澄み流ると云々、かたがた宜しからずや。

 

 「解釈」

 一つ、去る五月二十八日、石清水八幡宮の宝殿で、五、六人が争っている音がしたので、社僧に知らせて宝殿を開いて見たところ、顔が猿で体がイタチのような者が二人、食い合って死んでいたという。奇怪な兆しである。また放生川の水が三日間、澄んだまま流れたという。あれやこれやよくないことであるなあ。

 

 I heard the following. On May 28th, a person heard voices of five or six people fighting in the main shrine of Iwashimizu Hachimangu Shrine. So he informed the shrine priest, opened the main shrine, and saw two monsters with the faces of monkeys and the bodies of weasels. They were biting each other to death. This is a strange sign. I also heard that the water in the Hojo River was clear for three days. Both are bad things.

 (I used Google Translate.)

 

 

【考察】

 顔が猿で、体がイタチ。バケモノはバケモノなのでしょうが、見た目は動物そのものです。ところがこのバケモノを、経覚は「者」「二人」と表現しているのです。「二体」、「二匹」、「二羽」ではなく、「二人」なのです。「人」という単位を与えている以上、中世の人びとはバケモノから、人間と同程度の意志や知性を感じ取っていたのではないでしょうか。少なくとも、一般的な動物と同等に見ていないことだけは、はっきりわかります。バケモノの単位など、これまで考えたこともなかったのですが、たかが単位、されど単位。「人」という単位から、中世びとがバケモノに抱いていた考え方を読み取ることができそうです。

 さて、もう一つの怪奇現象は、石清水八幡宮膝下の放生川の水が澄んでいることでした。水が澄んでいること自体、現代人の感覚からするとよい兆候のような気もしますが、これも我々とはまったく違うのでしょう。普段から濁っている水が、突然澄みわたってしまったことで、異常さ・不気味さを感じてしまったのかもしれません。「水至淸則無魚(=水至って清ければ則ち魚なし)」ではないですが、何もかもが清ければよい、ということではなさそうです。