周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

把月 ─メルヘンチックな吉夢─

  寛正二年(1461)五月二日条

        (『経覚私要鈔』5─151頁)

 

  二日、霽、

     (尋尊)

  禅定院御房一両日以前見夢云々、其趣ハ、モトノ寝殿ニ愚老并僧正両人在之、

  西ノ射駒山ヲ見心地ス、其山邊月三在之、不思義ノ思ヲナシテ、モトアリシ渡廊

  ヲ下ル心地ハ、一月前ナル梅木ニ在テ、カヽヤキ渡テ、マハユキ計ニ覚ヲ、手ニ

  トリテ持ト見之由、畑経胤ニ被物語之由語申、随分吉夢也、可信々々、

 

 「書き下し文」

  禅定院御房一両日以前夢を見ると云々、其の趣は、もとの寝殿に愚老并びに僧正両人之在り、西の射駒山を見る心地す、其の山辺に月三つ之在り、不思議の思ひをなして、もとありし渡廊を下る心地は、一つの月前なる梅木に在りて、かがやき渡りて、まばゆきばかりに覚ゆるを、手にとり持つと見ゆるの由、畑経胤に物語らるるの由語り申す、随分の吉夢なり、信ずべし信ずべし、

 

 「解釈」

  禅定院御房尋尊が、一、二日前に夢を見たという。その内容であるが、もとの寝殿に私(経覚)と尋尊二人がいた。西の生駒山を見ているようだった。その山のほとりに月が三つ出ていた。不思議に思って、もとあった渡廊を下っているときの気持ちであるが、一つの月が目の前の梅の木にあり、一面に輝いていて、眩いばかりであると思われたのを手に取って持つという夢を見た、と私の側近である畑経胤にお話になった、と畑が語り申し上げた。すばらしい吉夢である。しっかりと信じるべきである。

 

 

 「注釈」

「畑経胤」─経覚の側近(酒井紀美『経覚』吉川弘文館、2020年、244頁)。

 

 

【考察】

 夏の生駒山に現れた三つの月のうち、目の前の梅の木にかかった一つを手に取る。尋尊はこんな夢を見たそうです。現代人の感覚からすると、なんともメルヘンチックな夢だなあと思ってしまいますが、記主経覚にとっては必ずしもそのようなものではなかったようです。「すばらしい吉夢である。信じなければならない、信じなければならない…」などと、ずいぶん現金な感想を述べています。情趣・幽玄どこへやら…。

 「三つ現れた月のうち、一つを手に入れる」という夢は、いったい何を表象しているのでしょうか。必死に信じようとしているところをみると、よっぽど手に入れたい願望を表しているのかもしれません。

 ちなみに、平安時代には「月」を「后」の隠喩とすることがあったそうですが(丸山淳一「この世をば…藤原道長の「望月の歌」新解釈から見える政権の試練とは」読売新聞オンラインWebコラムhttps://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210628-OYT8T50054/)、室町時代の高僧二人が望む「月」とはいったい何だったのでしょうか。案外、金や権力のような俗っぽいものだったのかもしれません。