周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

仏通寺住持記 その1

【仏通禅寺住持記】(『三原市史』第5巻、資料編1) 解題 「佛通禅寺住持記」は、三原市高坂町、佛通寺の所蔵で、住持の交替のほか、寺の規式・文書・棟札などの諸記録、政治情勢、自然災害、近郷地域とのかかわりなどを記した、応永四年(1397)から…

犬と猿の子は犬?

文明十六年(1484)五月六日条 (『大乗院寺社雑事記』8─176頁) 六日(中略) 一高田之宮之森ニ、犬与猿チキリテ猿エノ子ヲ生、不思儀事也、又正月ニ笋数百本 ヲヒ立、凡希代事条々也云々、平田庄ニ如何子細可出来哉、且又一国中和与無為 相歟、 「…

豊町歴史民俗資料館所蔵多田文書6(完)

六 安芸国豊田郡安直村打渡坪付写 案文 芸州豊田郡安直村打渡坪付之事 能祖の内 さこ 一畠貳段 代六百卅文 民 部 同所 せいた 一畠壱段五畝 代四百五拾文 左近丞 同所 どうのもと 一屋鋪五畝 代四百文 同 人 同所 せいだのうしろ 一畠二畝 代六拾文 同 人 合…

豊町歴史民俗資料館所蔵多田文書5

五 安芸国豊田郡安直村打渡坪付写 芸州豊田郡安直村〈打渡」坪付〉 堂ノもと 清田 屋鋪五畝 代四百文 彦次郎 能祖迫 能祖ノ 畠二反 代六百文 民 部 以上米一石三舛 慶長五年(1600) 小方 二月十八日 太郎左衛門書判 三輪 加 賀 守書判 (蔵) 前田 加 賀 守…

桃崎著書

桃崎有一郎『礼とは何か』(人文書院、2020年) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 プロローグ P25 それ(「礼」の理論の根幹)は〝世界観〟というキーワードだ。規範や仕組みであることは、…

豊町歴史民俗資料館所蔵多田文書4

四 備中国賀陽郡八田部郷内打渡坪付写 備中国賀陽郡八田部郷之内四貫文之地田畠坪付之事 一所田壹段 分四斗五升 国府与三右衛門抱 かうの 一所田貳拾五代 分貳斗 孫右衛門 一所田壹段卅代 分六斗四升 国府与三右衛門 清水之内 一所田壹段卅代 分五斗六升 勘…

豊町歴史民俗資料館所蔵多田文書3

三 小早川徳寿丸隆景吹挙状写 三郎左衛門尉所望之事、可レ令三吹二挙京都一之状如レ件、 (1544) 天文十三年十一月十八日 徳寿丸 多田助八殿 「書き下し文」 三郎左衛門尉所望のこと。京都に吹挙せしむべきの状件のごとし、 「解釈」 三郎左衛門尉を所望す…

豊町歴史民俗資料館所蔵多田文書2

二 小早川隆景充行状写 連々致二愁訴一候条、防州以二五ヶ所之内壹貫文一充行候、弥可レ抽二奉公忠儀一 事、可レ為二干要一者也、仍状如レ件、 (1535) 天文四年四月十六日 隆景書判 多田三郎左衛門とのへ 「書き下し文」 連々愁訴致し候ふ条、防州五ヶ所之…

自殺の中世史3─20 〜石清水神人の強訴と自殺未遂〜

【史料1】 正長二年(1429)三月十五日・二十二日・三十日条 (『満済准后日記』下─37・39・43頁) 十五日。天晴。(中略) 今日午刻。石清水八幡宮中御前外殿大床ノ上ニテ。神人〈仕丁云々。〉二人 切腹了。雖然於社中不終命。則出築垣之外云々…

豊町歴史民俗資料館所蔵多田文書1

解題 御手洗は近世「沖乗り航路」の港町として発達した町である。多田家は当地の豪商であり、近世から近代にかけての文書多数を蔵していた。その中に中世に遡りうる六通の文書の写があるのでこれを所収した。 いずれも多田家の中世末の状況を示すものである…

西福寺文書2(完)

二 沙弥円教施入摺仏墨書 為二権僧都定真後生善処一 願主沙弥円教 三十三体 (教) 為二沙弥証円後生善処施入一 願主沙弥円□ 三十三体 為二二親現当二世施入一 願主沙弥円教 三十三体 尊 為二僧重真○後生善処一 願主沙弥円教 卅三体 為二法界衆生平等利益一 …

西福寺文書1

解題 無住の小堂の中に聖観音立像一躯が安置されている。その背刳りの中には、紙片に摺った観音三百三十体が束ねてしまいこまれている。摺仏には施入の趣旨を記した墨書をもつものがある。また一部には、正慶元年(1332)の黒瀬村内海方検注帳などの紙背…

林善右衛門旧蔵文書1(完)

解題 林家は、江戸時代に賀茂郡風早村(安芸津町風早)の庄屋をつとめていた。 一 小早川隆景感状写 ○東大影写本ニヨル 息 (ヵ) 今度於二生楚一○式部丞立レ用候、此儀不便候処ニ、兄弟能助於二日名井一討死候、 打続如レ此儀無二是非一候、老後悲歎推察候…

仏通寺正法院文書10(完)

一〇 毛利氏奉行人書状(切紙) 被レ対二貳分内蔵助殿一御状并数通之御証文、令二披見一候、則遂二披露一候之 (二分内蔵助) 処、被二仰出一之旨候条、委細二蔵へ申渡候、於二我等一者少も不レ可レ有二疎略一 候、仍貳十疋送給候、吉悦之至候、猶重畳可二申…

仏通寺正法院文書9

九 小早川詮平安堵状(折紙) (緒) 当院領所之事、於二自今以後一、或号二下作職一、或号二自然之由所之地一、若至下 有二押妨之輩一者上、任二注進之旨一、堅可レ加二下知一候、以二此旨一全可レ有二 御裁判一之状如レ件、 (1540) 天文九年三月廿日 詮…

願望まみれの夢解釈

文明十五年(1483)十月二十九日条 (『大乗院寺社雑事記』8─95頁) 晦日(中略) 一古市澄胤去八月末蒙夢相子細在之、九月一日社参、神馬・田畠等令寄進之、 (妊) 其子細近日聞付之、於若宮宝前鳥之卵於被下之間、請取手内ト見之、懐任之相 歟、殊…

仏通寺正法院文書8

八 小早川興平充行状 (正法院) 当院之事、被三立二置惟三位牌一之條、聊不レ可レ存二等閑一候、依レ之本郷田中 給内田参段、依レ有二由緒一還二付之一、備後国杭荘社家方之内長楽寺等、為二 毎日霊供料一、令二新寄進一者也、永代無二懈怠一可レ被二勤備一…

仏通寺正法院文書7

七 仏通寺塔頭正法院領田地目録 (証判)(小早川興平)(真田敬賀) 「(花押)(花押)」 仏通寺塔頭正法院領田地目録 合 自二往古一買得分 源内林 (弘通) 一所 参段 各八斗代 〈本郷内 売主真田左京助」 康正元年乙亥十二月十三日〉 半迫 一所 壹段 八…

安田著書

安田次郎『尋尊』(吉川弘文館、2021年) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 はじめに P5 尋尊は室町時代の奈良興福寺の僧である。永享二年(1430)八月七日に京都で生まれ、永正五年(1…

仏通寺正法院文書6

六 小早川敬平書状(切紙) 就二安堵 御封頂戴一賀承候、殊鳥目済々送給候、自二政所一令二注進一候、目出 候、満足可レ有二御推量一候、恐々敬白、 八月廿二日 敬平(花押) 正法院 進覧候 「書き下し文」 安堵の御封頂戴に就き賀び承り候、殊に鳥目済々送…

仏通寺正法院文書5

五 小早川敬平安堵状 (正法院) 当院領事、任二安堵并支証等旨一、弥無二他妨一可レ被レ全二寺務一、将又陣夫諸役 事、近年不レ懸レ之云々、任二手次一於二向後一不レ可レ有二其役一、以二此趣一寺家 宜レ被二存知一之状如レ件、 (1489) 長享三年八月十一…

仏通寺正法院文書4

四 小早川元平寄進状 仏通寺正法院領所々、或本物返、或年記永地之事、於二自今已後一者、不レ可レ 有二其煩一者也、殊徳政等事、堅可レ令二成敗一、然者可レ為二新寄進一之状如レ件、 (1481) 文明十三年正月十日 掃部助元平(花押) 「書き下し文」 仏通…

自殺の中世史3─19 〜石清水神人の強訴と自殺〜

応永三十二年(1425)八月十五日条 (『薩戒記』2─209) 十五日、辛巳、天晴、午終剋花山院中納言〈持忠、放生」会上卿、〉自八幡送 使者曰、昨日焼亡太驚存、殊近々間心苦存之処、無別儀云々、抑放生会神人昨日依 致強訴被召籠了、件神人子、今朝於…

仏通寺正法院文書3

三 真田頼澄売券 売渡申永代下地之事 合参段者 〈坪 真良之内」かきの木つほ、梅木坪」くろはさ〉 右件下地者、為二仏通寺之正法院領一、除二臨時天役万雑公事一、限二永代一売渡申 所実也、殊為二頼澄今世後世費一、寄進ニ申定上者、聊忌(忩)劇候共不レ可…

仏通寺正法院文書2

二 真田弘通売券 売渡申本銭返下地之事 (安芸豊田郡) 坪者本郷之内源内林 合参段代拾五貫文 三段八斗代 (安芸豊田郡) 右田地依二要用有一、仏通寺智泉院祠堂分仁、沽却申所実也、但雖レ有二本銭一、 (康正二年) (寛正六年) 自二丙子歳一至二乙酉歳一…

仏通寺正法院文書1

解題 当院は、仏通寺山内五派の一つである。長享元年(1487)、小早川扶平が宗綱恵統を開祖として開いたものである。一号・七号文書のほかは三原市立図書館蔵の写真から採録した。 一 真田則通売券 (則通) (花押)(花押) うり渡申候本銭返下地之事 …

仏通寺文書45(完)

四五 福島正則合力米給与状 ○東大影写本ニヨル 仏通寺僧〈扶持方之事」并帋子之代之事〉 五人扶持 (含暉) 一 がんき院 七石ハ帋子之代 四人扶持 (永 徳) 一 やうとく院 五石ハ同 四人扶持 (肯 心) 一 かうしん院 五石者同 四人扶持 (長 松) 一 ちや…

仏通寺文書44

四四 小早川隆景制札写 ○住持記ニヨル 制札 仏通寺 右当山中竹木採用之事、堅令二制止一事、若此旨諸郷違背之村於レ有レ之者、従二 寺家一可レ有二注進一、対二其地下地中一遂二糺明一、其内族之者、則時可レ処二 罪科一者也、仍如レ件、 (1588) (隆景) …

貧乏神と福の神 (God of poverty and God of fortune)

文明十五年(1483)六月二日条 (『大乗院寺社雑事記』8─26頁) 二日雨下、 (中略) 一石さ衛門尉罷下、京都無殊事、和泉堺福天十六七人、各女房也、入上京之由申 (貧乏ヵ) 云々、真実拜見者在之云々、又京都之賓法神五六十人男也、各鸎・ニワ鳥ヲ…

仏通寺文書43

四三 仏通寺珪岳書状 ○東大影写本ニヨル (包紙ウハ書) 「 仏通寺 小早川左衛門佐殿 貴答 珪岳」 醍醐上味経之板木全函、於二 当山一可レ被レ成二寄置一之旨、撰者文月二日為十乗坊 (マヽ) 真田景久使節、入持来至二明潔ニ一殊 御判各致頂載候事、前代未…