周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

三原城城壁文書(楢崎寛一郎氏舊蔵)2

    二 小早川隆景書状

 

 備前兒島)

 就元太表之儀、先日者預御尋于今本望候、乍御報如申入候、彼表之儀詰口堅固ニ

 仕寄等申付之由候、急度可有一途趣候、雖然阿州衆事此砌出津候而、後巻必定由

 到来候、此時者非可致油断候之条、我等事出張候て追々人数并舟短息候而、後詰

 之覚悟候、敵於渡海者見合一安否可仕之通、細川野州・三村申合、

 乃美宗勝井上春忠

 従乃兵・井又右所申越候、先備後外郡衆事、急度可被指出之通吉田申談之候、於

 旨儀者重畳可申入候、猶此者申含候、恐々謹言、

       三月十日      隆景(花押)

      (熊谷)

      信直 まいる 申給へ

 

 「書き下し文」

 元太表の儀に就き、先日は御尋に預かり今に本望に候ふ、御報ながら申し入れ候ふごとく、彼の表の儀詰口堅固に仕寄等を申し付くるの由に候ふ、急度一途の趣有るべく候ふ、然りと雖も阿州の衆事此の砌に津を出で候ひて、後巻必定の由到来し候ふ、此の時は油断致すべきに非ず候ふの条、我等の事出張り候ひて追々人数并びに舟短息し候ひて、後詰の覚悟候ふ、敵渡海に於いては見合ひ一安否仕るべきの通り、細川野州・三村申し合わせ、乃兵・井又右より申し越す所に候ふ、先づ備後外郡衆の事、急度指し出ださるべきの通り吉田に之を申し談じ候ふ、於旨儀に於いては重畳申し入るべく候ふ、猶ほ此の者に申し含め候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 備前国本太城の最前線の件について、先日はお尋ねいただき、今、喜んでおります。お返事としてお伝えするとおり、この最前線の件ですが、敵方は詰口に仕寄などを堅固に設置することを申し付けたとのことです。きっと一つの方針がある(守備に専念する)のでしょう。しかし、阿波衆はこの機会に津を出発しまして、我らの背後を取り巻くことは必定であるとの情報が到来しました。そのときは油断してはなるまいと、我らも攻め寄せまして、次第に軍勢や舟を調達しまして、後詰をする覚悟でございます。敵が渡海してきた場合には、時機を見計らって敵の動静を見極めるという取り決めに従って、細川通薫や三村元親と相談し、乃美宗勝井上春忠から申し伝えるところです。まず備後外郡衆を、是が非でも差し出すように、吉田の毛利元就に相談し申しあげます。この件については、重ねがさね申し伝えるつもりです。なお詳細は、この使者に言い聞かせております。恐々謹言。

 

*解釈はよくわかりませんでした。