三九 浩雲周養書状 ○東大影写本ニヨル
本寺山境御究之 旦命御判之儀申調進二覧之一候、定而惣山中之御安堵不レ可レ
過レ之候哉、以二此上一或者寺家廻、或者道路阡陌其外及樹木竹林、致レ全二
御壹通旨一、為レ各堅有二制止一而可レ被二相守一事、乍レ恐肝要ニ存候、誠如レ此
(小早川)
之仕合崇二 先師之霊験一不二相叶一茂及二三ヶ年一、 隆景様江瑞舟様
致二御取成一候、然時者累代之御番衆、殊者諸塔頭又者至二小寮舎等一御心懸通茂
(行)
申事候、将又御旦方被レ対二当院一御内状并両奉□副状送二進之一候、衆中有二御
披見一為レ後記候之条、右之 御判仁被二副□一可レ被レ納二文庫一候、此等之次第
当住様諸老中江宜レ被二仰達一候儀専一候、恐々謹言、
永禄三年(1560)
七月七日 周養(花押)
仏通寺
納所禅師 侍司下
「書き下し文」
本寺の山境御究めの旦命御判の儀申し調へ之を進覧し候ふ、定めて惣山中の御安堵之に過ぐべからず候ふか、此の上を以て或いは寺家の廻り、或いは道路阡陌其の外樹木竹林に及び、御壹通の旨を全う致し、各々として堅く制止有りて相守らるべき事、恐れながら肝要に存じ候ふ、誠に此くのごときの仕合はせ先師の霊験を崇び相叶はざるも三ヶ年に及び、隆景様へ瑞舟様御取り成し候ふ、然る時は累代の御番衆、殊には諸塔頭又は小寮舎等に至り御心を懸け通すも申し事に候ふ、将た又御旦方当院に対せられ御内状并びに両奉行の副状之を送り進らせ候ふ、衆中御披見有り後の為に記し候ふの条、右の御判に副へ進らせられ文庫に納めらるべく候ふ、此らの次第当住様・諸老中へ宜しく仰せ達せらるべく候ふ儀専一に候、恐々謹言、
「解釈」
仏通寺の山境をはっきりさせるという、檀那小早川隆景様の御判のある命令書をご用意し、お目にかけます。山中全体の御安堵に勝るものはあるはずもないだろう。このうえは、一方では寺家の周辺、もう一方では東西南北の道路や、その他樹木竹林に至るまで、隆景様の御書状の内容を全うし、各々として厳密に山境違反を制止し、互いに山境を守るべきことが、恐れながら重要であると存じます。本当にこのような成り行きは、先師の霊験を尊んで思い通りにならないことが三年にも及び、瑞舟様が隆景様へ取り成してくださいました。このようなときは、代々の御番衆、とくにさまざまな塔頭、または小規模な寮舎等に至るまで、お心をかけてくださるように申し上げてきたことです。さらにまた、檀那である隆景様は当院に対して御書状ならびに両奉行の副状を送ってくださいました。仏通寺の評定衆でご披見になり、後々のために記録したうえで、前述の隆景様の命令書にそれらを副え申し上げて文庫に納めなさるべきです。これらの事情を現在の住職様や老僧たちへ必ずご伝達になるべきことが第一です。以上、謹んで申し上げます。
*書き下し文・解釈ともによくわからないところばかりです。
「注釈」
「瑞舟様」─未詳。