周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

楢崎文書5・6

五 毛利輝元書状(折紙) 彼是其元之様体具相伺候而、可罷帰候、市佑事者、明日可差越候、為意得候、 謹言、 六月十九日 輝元(花押) (国司元武ヵ) 国右 「書き下し文」 彼是其元の様体具に相伺ひ候ひて、罷り帰るべく候ふ、市佑の事は、明日差し越すべく…

楢崎文書4

四 毛利輝元書状 (安芸豊田郡) 此者事、御用之通被仰越候間参候、とかく乃美まて成共御出候ハてハと存候、 (兒玉就方) 尚兒周可申候、恐々謹言、 三月六日 輝元(花押) 隆景 参 御宿所 「書き下し文」 此の者の事、御用の通り仰せ越され候ふ間参り候ふ…

倒れる火柱

寛正三年(1462)五月十三日条 (『経覚私要鈔』5─293頁) 十三日、丁未、霽、(中略) 一或説云、自相国寺池火柱三本立了、一ハ仏殿方ヘ倒了、一ハ室町殿方ヘ倒了、 一ハ南ヘ倒了云々、令卜筮之処、南ヘ倒ハ南都希也占申云々、可恐々々、 「書き下…

楢崎文書3

三 毛利輝元書状 (安国寺恵瓊) (就長) 西堂下着付而、林木工事弥可召上之通、得其意申候、重々申遣之候、恐々謹言、 十一月五日 輝元(花押) (捻封ウハ書) 「 右馬 隆景 まいる〈御返」申給へ〉 輝元」 「書き下し文」 西堂下着に付けて、林木工の事…

楢崎文書1・2

解題 楢崎氏は正慶二年(1333)、備後国芦田郡久佐村地頭職を賜った宇多加賀守にはじまる。この時より、久佐村楢崎山に居住し楢崎をもって氏とした。その後、三河守豊景は毛利元就に属し、神辺の陣、筑前立花の陣に加わる。朝鮮の役にも従うが、その一族…