一一 村上吉充譲状
ゆつり状之事
右所々御判地者不及申、其外私領并札浦等事、亀若丸ゆつり渡者也、守先例
(期)
相斗 御屋形様江無余儀可致奉公候、女子分之事者、其身一後のちハ、吉充
(跡目)
あとめへ可返候、仍之状如件、
(1483)
文明十五年十一月十五日 吉充(花押)
亀若とのへ
「書き下し文」
譲状の事
右所々御判の地は申すに及ばず、其の外私領并びに札浦等の事、亀若丸に譲り渡す者なり、先例を守り相計らひ御屋形様へ余儀無く奉公致すべく候ふ、女子分の事は、其の身一期の後は、吉充の跡目へ返すべく候ふ、之に仍て状件のごとし、
「解釈」
右、あちこちの御判によって安堵された地は申すまでもなく、その他の私領や札浦(関所)などのことは、亀若丸に譲り渡すものである。先例を守って相談し、備後守護山名政豊様へ一途に奉公しなければなりません。女子分のことは、そなた一期所有の後は、私吉充の後継者に返さなければなりません。よって、譲状は以上のとおりである。
「注釈」
*「御屋形様」の解釈は、川岡勉氏「因島村上氏と守護権力」(広島県立歴史博物館公開講座、2024年9月14日)のレジュメを参照しました。