晴富宿禰記(完)
延徳四年(1492)四月四日条 (『晴富宿禰記』158頁) 四日甲辰 晴 (中略) 今朝於二条室町薬師堂傍、蛙合戦[ ]堀溝七八ケ間之間、蛙充満飡合之後、 [ ]退畠辺蛙子四千百有之云々、 「書き下し文」 四日甲辰 晴る、 (中略) 今朝二条室町薬師堂…
延徳二年(一四九〇)十一月二十六日条 (『晴富宿禰記』153頁) 廿六日甲辰 晴 (中略) (足利義視) 准后将軍厳親腫物御所労尻、已御難儀之間被召諸医師、松井兵部卿自昨日進御良 (貞盛法印) 薬、此間竹田進御薬無御験之間、兵部卿薬御服用也、又江…
延徳二年(1490)十一月三日条 (『晴富宿禰記』151頁) 三日辛巳 晴 (中略) 夜前南禅寺早鐘物忩之間、遣人之処、以前擯出之僧欲帰入、不可叶之由大衆蜂起 云々、冬至也、 「書き下し文」 三日辛巳 晴る、 (中略) 昨晩南禅寺早鐘物騒の間、人を遣…
文明十一年(1479)七月廿日条 (『晴富宿禰記』105頁) 廿日甲戌 霽 (中略) (マ丶) 昨夜光物在禁中、人魂之由風聞云々、条々恠異非一事、皆以恐怖且又云々、 「書き下し文」 廿日甲戌 霽る、 (中略) 昨夜光る物禁中に在り、人魂の由風聞くと云…
文明十一年(一四七九)五月五日条 (『晴富宿禰記』九三頁) 五日辛酉 雨、自巳剋止、幸甚々々、 佳節幸甚々々、 今日四条西洞院(割書)「西洞院西四条北頬」在家夫婦又妾有之、彼婦妬妾而 責夫、仍夫害婦并小子、希代所行也、挙町驚見、欲告所司代、夫則…
文明十一年(1479)正月三日条 (『晴富宿禰記』165頁) 三日庚申 晴 (傍注)「定日不知之」上辺井中(以下割書)「慥不知其在所」山猿落入、軅出而 去云々、風聞之間記之、 「書き下し文」 「定日之を知らず」上辺の井中に「慥かに其の在所を知らず」山…
文明十年(一四七八)三月九日条 (『晴富宿禰記』40頁) 九日辛未 晴 (中略) 抑殿中泉殿水、家門有子細時可濁之由、見後普光園院殿御置文、今度(以下割書)「去十一月十一日」放火以前、此水濁之由、御随身御留守之輩令申、于今猶不清、一昨日被竜供之…