2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
永享五年(1433)二月九日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』4─145頁) 九日、晴、室町殿八幡社参、自今夕北野七ヶ日可有参籠云々、明後日一万句連歌御法 (二条持基) 楽也、執柄以下廿頭也、諸方連歌経営無他事云々、 (裏書) 「聞、室町殿八幡社参御…
永享四年(1432)五月二十四日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』4─56頁) 廿四日、晴、聞、去廿日北野社僧七八人児一両人相伴、下京辺勧進くせ舞見物、面々 酔気之間、北山鹿苑寺未見之由申、帰路彼寺へ罷向、寺門ニ僧一人小便ス、児見之 (抛ヵ) 咲之間…
一九 安藝国賀茂郡寺家村石堂村篠村打渡坪付寫 一藝州賀茂郡〈寺家村・石堂村・篠村〉 御再檢打渡坪付 田数〈四町五反三畝廿歩米・米三拾壹石壹斗六升〉 畠数〈壹町三反九畝十歩・代貳貫七百三十八文目銭共ニ〉 屋敷七ヶ所〈壹反七畝廿歩・代壹貫三百八十六…
一八 安藝国高田郡中馬村打渡坪付寫 一藝州高田郡中馬村打渡坪付之事 田数貳町八反七畝廿歩 以上 畑三反七畝 代五百廿六文め銭四十一文 屋敷壹反三畝 代九百八拾文 并米三拾四石四斗四升三合 六月十四日 小方 太郎左衛門『在判』 三輪 (元徳) 加 賀 守『同…
一七 安藝国賀茂郡東西條篠村打渡坪付寫 『竪紙書付』 一藝州賀茂郡東西條佐々村領地打渡之坪付 田数壹町九反半 分米拾貳石九斗 畑数三反大 代方五百五十文 以上合田畑共ニ分米拾三石四斗五升 (1590) 天正十八 兒玉 二月十一日 弥左衛門 『在判』 内藤 (…
*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 「将軍・御台院号」 等持院─足利尊氏 大休寺殿・錦小路殿─足利直義 宝篋院殿─足利義詮 鹿苑院殿─足利義満 勝鬘院─藤原慶子(義満室・義持母) 定心院─日野業…
井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012 *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 第6章 室町戦国期における天皇権力の二面性 P213 本節ではまず、国政的統治権力を衰退させてい…
井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012 *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 第4章 天皇と仏教 ─天皇儀礼における仏事と神事の相克 P131 前近代における天皇の宮中儀礼は、…
井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012 *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 第2章 劇場国家論批判と日本中世史研究の現代的課題 P56 言い換えれば、現代社会をどう認識する…
井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012 *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 序章 P12 現代国家や象徴天皇制の安定性が顕著にみえ、大衆民主主義が謳歌される姿の時代であれ…
井原今朝男『室町廷臣社会論』塙書房、2014 *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 序 13ページ 若い頃、故稲垣泰彦さんから書評の心得を教えられた。研究の到達点をなし、自分がもっとも尊敬…
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一六 綱安書状寫 『竪紙書翰』 其元ニ長々罷居候与三右衛門事、又被二召還一候て御つかい候する事肝要候、 (致ヵ) 於二我等一者少も御等閑不レ存候、爲二其御報一如レ此候、尚口上ニ令レ申、恐々謹言、 甲寅 二月廿一日 綱安 (ウハ書)(宗勝ヵ) 「石井…
一五 大内氏奉行人連署書状寫 『横紙書翰』(賀茂郡) (元家) (マヽ) 藝州志芳衆之内石井平左衛門尉事、被レ下二身暇一被二上遣一候、今度長々在陣神妙 (マヽ) 之由、被二 仰出一候、雖レ爲二何時一於二 御遣發一ハ、不レ及レ被二相觸一、可レ 遂二参…
一四 大内氏奉行人奉書寫 『横紙感状』 (安芸安北郡) 藝州府城爲二後巻一、昨日十三佐東勢出張之處、於二松笠山一懸合々戦之時、郎従 (興房) 川田太郎三良矢疵胸、僕従弥三郎被二矢疵左乳一之由、陶尾張守注進状到来、遂二 披露一畢、尤神妙之由、所レ被…
一三 大内氏奉行人連署書状寫 『横紙書翰』 (弘中) 至二去年一備後外内両郡、被三差二出隆兼一候處、各令レ隨逐二分過之馳走一、寔神妙 被二 思召一候、弥於二向後一無二油断一奔走肝要之由、被二仰出一候、能々可レ申之 旨候、恐々謹言、 (天文十三年ヵ…
永享四年(1432)四月二十一日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』4─44頁) 廿一日、晴、賀茂祭也、 (中略) (慈光寺) 抑持経参宮可同道之由、自今春約束申、然而依計会思留云々、而持経妻此間俄為狂 〔議〕 気神宮有御託宣、参宮思留之条不思儀也、不参…
一二 大内氏奉行人書状寫 『横紙書翰』 今度御上洛已来数年、別而御馳走上、至二丹波一被レ遂二供奉一、剰去月廿四日於二 船岡山一御合戦之時、太刀討之御感状任官、尤以目出候、弥被レ抽二忠節一者、可レ 為二肝要一候、恐々謹言、 (1511) 永正八 (杉) …
一一 大内氏奉行人書状寫 『横紙書翰』 旁忠儀之次第、達二上聞一被レ成二 御感状一候、尤御面目之至候、弥可レ被レ抽二 戦功一事肝要候、恐々謹言、 『陶』 十一月十八日 晴賢『在判』 (賢家) 石井蔵人殿 「書き下し文」 かたがた忠儀の次第、上聞に達し…
永享三年(1431)七月六・十・十九日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─297・300・302頁) 六日、晴、明日花合如例取集、座敷等室礼、抑聞、米商買之者六人侍所召捕糺問、被 去月以来 書湯起請云々、此事此間洛中辺土飢饉、忽及餓死云々、是米商…
永享三年(一四三一)六月十九日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─295頁) 十九日、晴、月次連歌定直申沙汰、 (中略) 抑聞、去五月十四日相国寺沙弥預〈勝定院沙弥、〉被打擲、鹿苑院僧所行云々、依 堂 之沙喝蜂起、僧■ニ閇籠、寺を欲焼鳴鐘、寺中騒動之…
永享三年(一四三一)四月十九日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─282頁) (西大路) 西大路之 十九日、晴、隆富朝臣窮困過法之間、宿所沽却云々、仍当所移住、御所辺祗候之 由申、今日参、妻子等相伴云々、不便也、侍臣相加祗候珍重、但可加扶持之条 計…
一〇 大内氏奉行人連署書状寫 『横紙書翰』(安藝賀茂郡) (賀茂郡) 元家事、白山御城番相勤窮困之段、雖レ被二察 思食一候、暫時至二造賀要害一、 (平賀) 弘保被二申談一、令二登城馳走一可レ為二肝要一之由候、不レ可レ有二遅々油断之儀一 候、恐々謹…
九 大内氏奉行人連署奉書寫 『前ニ同』 去年六月十八日、至二備後国安那郡神邊要害一動之時、僕従四郎左衛門被二矢疵 (弘中) 左股一之由、隆兼注進遂二披露一、慥被二 知召一畢、尤神妙也、弥可レ抽二馳走一 之由、依レ 仰執達如レ件、 (1549) (小原隆…
八 大内氏奉行人奉書寫 『横紙感状』(熊)(安藝安南郡) 去九日態野要害落居之時、被レ致レ疵之次第、依レ遂二注進一、被レ成二 御感状一 訖、弥可レ被レ抽二忠節一之由、所レ被二仰出一之状如レ件、 (1527) 『陶隆房』(興房) 大永七年二月十三日 尾張…
『朽木文書未翻刻帳簿類』 *ワードやエクセルの文章をそのままコピペしただけなので、きちんと表示されていない部分も多々あります。そして、今後それを改善するつもりもありません。 享徳三(一四五四)年四月付近江朽木庄新開等田数年貢注進状(七六六) …
『朽木未翻刻文書』四 *ワードやエクセルの文章をそのままコピペしただけなので、きちんと表示されていない部分も多々あります。そして、今後それを改善するつもりもありません。 文明六(一四七四)年十二月二十九日付中興近江朽木郷年貢請取状(五三四) …