周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

井上文書 その4

一 五行祭文 その4 (法華) (諸法) (法)(説) さうしてこのほつけニハしよほう十さうゆいう一しやうのほうときヲ、十如十さうに (善悪) せんあくふ二しやしやう一如おとき、あるいハこんし三かいかいせかう、五ちうしゆ (七) しやうしつせ五し二…

井上文書 その3

一 五行祭文 その3 (便品) (界) (法) 方へんほんに十かい十如ゑしやう三せんのほう門とき、けしやうゆうほんに十二いん (説) (示) ゑんおといて、ほうしよさいこんのむねおしめし給ふ、十かい十如といんハ、一ノに (地獄道) (餓鬼道) (畜生…

井上文書 その2

一 五行祭文 その2 (天開) (地固) (陰陽) (際) そもゝゝてんひらきちかたまりよりこのかた、いんようのきわからして五形となり、 (印) (智) (名付) (戒) それ五形いんハ木火土金水神なり、あるいハ五ち五佛となつけ、あるいハ五かい (情)…

井上文書 その1

解題 井上家は壬生(山県郡千代田町)の八幡宮の神職をつとめる家である。当家には五行祭文や荒平舞詞をはじめとする祭文類が多数蔵されている。奥書から中世に属することが明らかなものだけでも、延徳二年(一四九〇)から慶長二年(一五九七)まで十三点を…

楽しくない栗拾い

宝徳二年(1450)八月二十八日条 (『康富記』3─204頁) 大炊御門殿若公御讀始参事、 廿八日己亥 晴、 (中略) 後日或語云、今日北歓喜寺後苑有栗、山名方中間下人等亂入拾栗之間、加制止之處、 ノ 不承引、及悪口、仍喧嘩出来、寺僧琛侍者被疵云々、琛…

香川文書(完)

解題 都志見(山県郡豊平町)の香川氏は、佐東郡八木(広島市佐東町)城主の香川氏と同族で、鎌倉権五郎景政を祖とする。経高が相模国香川庄をえてから香川を称するようになった。その後、承久の変における戦功によって、経景が八木村、義景が戸谷村を得、同…

ファミリーヒストリー その2

一 十二神祭講当番組帳 (表紙) (1832) 「 天保 三年 十二神祭講當番組帳 (ヵ) 辰十一月十三日 代子神」 申定之事 (ヵ) 一、十二神氏子中一同参會致二評義一、」當辰年分毎年十一月十三日ニ」御神楽仕、 社家江致二案内一、氏子」繁栄・寿命長久・五…

ファミリーヒストリー その1

某NHKの番組ではないですが、今回、ちょっとした発見がありました。 私が古文書を読む勉強を再開したご褒美か、試練かわかりませんが、つい最近一族に関する古文書を1点発見しました。発見というと大げさで、親族はその存在をずっと前から知っていました。…

実際寺文書4(完)

四 實際寺領與一野年貢帳寫 (表題) 「實際寺領与一野年貢帳」 實際寺領与一野年貢帳 上名 一所 参貫五百五十文目 名主道珎分 一々 貳貫七百五十文目 岡分 一々 五百五十文目 下垣内 一々 貳貫七百五十文目 大原道孝 一所 貳貫七百五十文目 中屋分 已上 一…

実際寺文書3

三 祖綱外四名連署寄進状 安藝国山縣郡大田郷戸河内村内実際寺領理地庵屋敷事 東 従二開山塔一佛殿之小庭ヲ限 南 横路ヲ至二西之谷一限 西 従二谷尾筋ヲ登一大峰尾ヲ至二瀧首一限 北 従二瀧首平ヲ下一至二開山塔一限 右付─二申塔頭所一之事、以二各評議一相─…

実際寺文書2

二 雪舟寄進状 藝陽無爲山實際寺之事、紀氏栗栖歸源禅門之開基也、 奉三勧─二請愛宕山勝軍地蔵 大薩埵之尊像一、爲二武運長久一門堅固一也、上与一野并屋敷、至二末代一被二寄進一 之者也、當寺佛法繁栄之状如レ件、 (1375) 永和元年九月十日 (葉ヵ) 東…