周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

栗拾いの惨劇

  宝徳二年(1450)八月二十八日条 (『康富記』3─204頁)

 

大炊御門殿若公御讀始参事、

 廿八日己亥 晴、

  (中略)

 後日或語云、今日北歓喜寺後苑有栗、山名方中間下人等亂入拾栗之間、加制止之處、

                                    

 不承引、及悪口、仍喧嘩出来、寺僧琛侍者被疵云々、琛蔵主者、佐々木鞍智叔父也、

            テハ

 馬田中間切件僧、仍於 下手人馬田中間逐電之由申之云々、

 

 「書き下し文」

 後日或る人語りて云く、今日北歓喜寺の後苑に栗有り、山名方の中間・下人ら乱入し

 栗を拾ふの間、制止を加ふるの処、承引せず、悪口に及ぶ、仍て喧嘩出来、寺僧琛

 侍者疵を被ると云々、琛蔵主は、佐々木鞍智の叔父なり、馬田の中間件の僧を切る、

 仍て下手人の馬田の中間に於いては逐電の由之を申すと云々、

 

 「解釈」

 後日、ある人が語っていうには、「今日、北歓喜寺の後ろの園に栗の木があって、山名方の中間や下人らが乱入し、栗を拾っていたので、寺僧らが制止したところ、中間らは聞き入れず、悪口を言うまでになった。そこで喧嘩が起きてしまった。寺僧の琛侍者は傷を負ったそうだ。琛蔵主は佐々木鞍智高春の叔父である。馬田の中間がこの琛蔵主を切った。だから、下手人の馬田の中間については逃亡した」と申し上げたそうだ。

 

 「注釈」

「北歓喜寺」─未詳。

 

「琛侍者」

 ─京極氏の庶家で、室町幕府外様衆佐々木鞍智高春の叔父(清水克行「ある室町幕府直臣の都市生活」『東京大学史料編纂所研究紀要』一二、二〇〇二・三、http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/12/kiyo0012-shimizu.pdf、後に『室町社会の騒擾と秩序』所収)。

 

「馬田」─未詳。

 

【コメント】

 秋の行楽?ではないのでしょうが、楽しいはずの栗拾いが、凄惨な事件になってしまいました。この記事も、現代人の私には理解しにくいのですが、そもそも他人の敷地に入り込み、栗拾いをする感覚がよくわかりません。そして、勝手に栗を拾ったにもかかわらず悪口を言い、挙げ句の果てに寺僧を斬りつけてしまいます。単なる逆ギレのように見えますが、中間や下人にも、彼らなりの正当性があったのかもしれません。ひょっとすると、この栗林を無主地とでも思っていたのでしょうか。それにしても、栗拾いで喧嘩なんて、何とも大人気ない話です。