文明四年(1472)五月二十三日条
(『経覚私要鈔』9─144頁)
廿三日、己未、霽、
(中略)
(発心院)
定清僧都来、茶一種随身了、物語云、去十四日雨ハ布留大明神被下雨也、
然春日大明神被押置之処、雨ヲ下条不可然之由御忿之間、布留御殿付火焼
云々、為実儀者、大明神御腹立何事哉、災旱弥以非有怖畏哉、
「頭注」
定清参り今月十四日の降雨は布留大明神の所為で、春日大明神が怒って布留宮を焼いたと語る。
「書き下し文」
定清僧都来り、茶一種随身し了んぬ、物語りて云く、去んぬる十四日の雨は布留大明神雨を下らせらるるなり、然るに春日大明神押し置かるるの処、雨を下らすの条然るべからざるの由御忿の間、布留御殿火を付け焼くと云々、実儀たらば、大明神御腹立何事や、災旱弥以て怖畏有るに非ざらんや、
「解釈」
発心院定清僧都がやって来て、茶一種をともにした。定清が雑談をして言うには、去る五月十四日の雨は布留大明神が雨を降らせなさったのである。しかし、春日大明神は事前に何の相談もされなかったので、雨を降らせたことは不適切だとお怒りになった。そのため、布留大明神の御殿に火を付けて焼いたという。事実であれば、春日大明神のお怒りはどれほどのことであったのだろうか。干害はますます恐れなければならない。
「注釈」
「被押置」─「差し置かる」という意味か。
【コメント】
この記事によると、布留大明神(石上神宮の御祭神)は当時、雨の神様と考えられていたと思われますが、大和で雨を降らせるには、春日大明神(春日大社の御祭神)に前もって相談しなければならなかったようです。それにしても、事前の相談なしに雨を降らせたからといって、布留大明神の御殿に放火するとは、春日大明神の恐ろしいこと…。ただ、この二柱のいざこざのとばっちりを受けるのは、日照りの害を受ける民衆ということになるのですが…。神々の喧嘩もほどほどにしてほしいものです。