石井文書(石井正樹氏所蔵)(完)
三 大内義長安堵状寫 (義長) (花押寫) (マヽ) 天文廿三年八月十二日賢家所務證文、藝州混乱之時紛失云々々、任二先規一可レ令二 領地一所、依執達如レ件、 天文廿三年(1554) 月 日 (賢家) 石井蔵人殿 ○本文書研究ノ要アリ 「書き下し文」 天文二十…
二 大内義隆安堵状寫 此所ニ(義隆) 御在判 此所ニ(義隆) (所) (マヽ) 元家世帯之事、石井九郎三郎宣家任二譲状之旨一、可レ全二領地一之所、依執達 如レ件、 天文三年(1534) 五月三日 石井九郎三郎殿 ○本文書研究ノ要アリ 「書き下し文」 元家世帯…
解題 石井正樹家は江戸時代には賀茂郡中四日市(東広島市西条町)において小倉屋と称していた。同家系図によると防州都濃郡と長州厚東郡万倉口にあった石井和泉守の子孫兵衛尉元家が志和内村(東広島市志和町)寺山城主、東西条佐々村石堂村寺家村(西条町)…