周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

物言ふ狐

「物言ふ狐」

  文安四年(1447)閏二月六日条

        (『経覚私要鈔』1─161頁)

 

  六日、戊辰、霽、以外寒、(中略)

   (安位寺)(俊祐)   十七日(墓ヵ)

 一先日当山浄土院語云、去月於布施蟇西社、狐物ヲ云、其云事ハアラカナシト二度

  マテ云ケル云々、以外事欤、只今思出之を記す、後々為思合也、

 

 「書き下し文」

  六日、戊辰、霽る、以ての外寒し、(中略)

 一つ、先日当山浄土院語りて云く、去月十七日布施墓西社に於いて、狐物を云ふ、其の云ふ事は「あらかなし」と二度まで云ひける云々、以ての外のことか、只今思ひ出だし之を記す、後々思ひ合はせんがためなり、

 

 「解釈」

  六日、戊辰、晴れ。ことのほか寒い。(中略)

 一つ、先日当山の浄土院俊祐が語っていうには、「去月十七日、布施の墓西社で、狐が人語を喋った。狐の言うことは、「ああ、悲しい」と二度まで言ったという。とんでもないことだよ。たった今思い出してこれを書き記した。後々に考証しようとするためである。

 

 Shunyu in Johdoin told me the other day: On February 17th, at the Hakanishi shrine in Fuse, a fox spoke human language. The fox said twice, "Oh, sad." This is unthinkable. I just remembered and wrote this down. This is for verifying whether or not it is true later.

(I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「蟇西社」

 ─北葛城郡新庄町大字寺口。寺口・大屋境界の鬱蒼とした森に鎮座。神社東方一帯から弥生時代の遺物が出土する。下照姫命・菅原道真を祀る。旧村社。もと倭文(しどり)神社とも称し、天羽雷命を祀っていたが、大永年中(1521─28)布施安芸守行国が菅原道真を祀って二座としたと伝え、明治初年に天羽雷命を下照姫命とし、現在に至る。「墓西神社」とも書き(灯籠銘)、屋敷山古墳の西を意味する名であろう。天羽雷命を祀った由縁は明らかでなく、口碑に現當麻町大字太田にあった棚機の森から布施氏が勧請したという。

 「経覚私要鈔」文安四年(1447)二月十八日条に「於布施蟇(墓ヵ)西有猿楽」とあるのは当社のことで、葛城安位寺僧らが、この猿楽を見物しており、中世には布施氏の庇護のもとに奉斎された。慶長六年(1601)桑山氏入部以後、社勢は同氏氏神諸鍬神社(大字弁之庄)に押され、当初十五村にわたった氏子も寺口・大屋二村になった(北葛城郡史)。

 本殿は各一間社春日造・銅板覆で国重要文化財(「博西神社」『奈良県の地名』平凡社)。

 

 

【考察】

*今回も「物言ふ動物」の紹介です。以前に紹介した記事(「未来からのサイン」)では、家畜の鶏と馬が不吉な予言(死亡と骨折)をしたのですが、この史料では野生の狐が喋っています。その言葉は「あらかなし」の五音。何が悲しいのか、かわいそうなのか、悔しいのかよくわかりませんが、どうやら、あまりよい意味ではなさそうです。家畜であろうと、野生動物であろうと、中世の動物は口を開けばネガティブなことしか言わないようです。アマビエのように、せめて何らかの対策ぐらい喋ってほしいものです。