周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

赤鬼と青鬼は実在した!

  宝徳元年(1449)七月二・五日条

       (『経覚私要鈔』2─45・46頁)

 

  二日、

  有少盃、在安上洛了、

〔一〕

 □在安語云、越中国椎名知行分内、夜々作物ヲ荒之間、郷村ノ人共夜待為之、

  如案田畠損之者在之、仍取マハシテ打之、一人ハ打留之、一人クミ留了、

  見之者鬼人也、一人ハ赤、一人者青色也、青ヲハ打取、赤ヲハ搦取云々、此子細

      (持国)

  注進守護畠山、畢、随而急可上之由加下知欤之由、京都ニハ有沙汰云々、

  為実事者希代之次第也、難知々々、

  五日、(中略)

 一越中国鬼人事、昨日播州語分ハ爪分六尺余在之、身事廿丈計欤、死タル鬼水ニ

  流出云々、国中ノ物共ヨリテ切取云々、是修行者ノ説也、鬼人出現彼国之条者

  必定、其説者区々也、

 

 「書き下し文」

  二日、

  少し盃有り、在安上洛し了んぬ、

 一つ在安語りて云く、越中国に椎名知行分の内、夜々作物を荒らすの間、郷村の人ども夜之を為すを待つ、案のごとく田畠を損ずるの者之在り、仍て取り回して之を打つ、一人は之を打ち留め、一人組み留め了んぬ、之を見れば鬼人なり、一人は赤、一人は青色なり、青をば打ち取り、赤をば搦め取ると云々、此の子細を守護畠山に注進し畢んぬ、随つて急ぎ上るべきの由下知を加ふるかの由、京都には沙汰有りと云々、実事たらば希代の次第なり、知り難し知り難し、

  五日、(中略)

 一つ越中国鬼人の事、昨日播州語る分は爪の分六尺余り之在り、身の事二十丈ばかりか、死にたる鬼水に流し出だすと云々、国中の物ども寄りて切り取ると云々、是れ修行者の説なり、鬼人彼の国に出現するの条は必定、其の説は区々なり、

 

 「解釈」

  二日、

  少し酒宴があった。九条家侍の石井在安が上洛した。

 一つ、在安が語って言うには、越中国の椎名氏知行分で、毎夜、何者かが作物を荒らすので、村人らが夜にこうするのを待っていた。予想どおり、田畠を荒らす者がいた。そこで周りを取り囲んで、これを叩いた。一人は叩いて押さえつけ、もう一人は組みついて押さえつけた。これを見てみると鬼人であった。一人は赤色、もう一人は青色だった。青鬼を討ち取り、赤鬼を捕縛したという。この詳しい事情を守護畠山持国に注進した。そこで、報告のために急ぎ上洛するよう命令を加えたのではないか、と京都では噂が流れた。事実であれば、世にも珍しいことである。はっきりしないことであるよ。

  五日、(中略)

 一つ、越中国の鬼人のこと。昨日古市播磨守胤仙が語っていうには、鬼の爪は六尺余り(1.8メートル強)もある。身の丈は二十丈(60メートル)ほどか。死んだ青鬼は水に流したという。国中の者どもが寄り集まって、鬼の体を切り取ったという。これは修行者の話である。鬼人が越中国に出現したのは確かなことである。ただ、その見解は一つではない。

 

July 2nd.

 Mr. Ishii, a vassal of the Kujo clan, told me that in the Shiina clan's territory in Ecchu, the villagers had been waiting night and night for someone to destroy the crops every night. As expected, someone ransacked the field. There people surrounded him and beat him. They beat and pinned one, and wrestled and pinned the other. When the villagers saw them, they were  demons (Oni). One was red and the other was blue. They killed the blue demon and captured the red demon. The detailed circumstances were reported to Hatakeyama Shugomochikuni. Therefore, Mr. Hatakeyama  ordered his retainers to rush to Kyoto and report. Such rumors were spreading in Kyoto. If that's true, it's very rare. It is not clear.

 

July 5th.

 About the demons in Ecchu. Mr. Furuichi told me yesterday. The devil's claws are over 1.8 meters long. Its height is probably around 60 meters. The dead blue demon was thrown into the river. People gathered from all over the country to cut off the demon's body. I heard this story from a monk. It is certain that demons appeared in Ecchu. However, there are many rumors about it.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「在安」

 ─九条家の侍身分の家僕石井在安(廣田浩治「中世後期の九条家家僕と九条家領荘園」『国立歴史民俗博物館研究報告』第104集、2003年・3月、https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun5/pdf/104011.pdf)。

 

播州

 ─興福寺大乗院方衆徒の筆頭古市胤仙(酒井紀美「大和永享の乱」・「安位寺から古市へ」『経覚』吉川弘文館、2020年)。

 

「椎名」

 ─現魚津市鹿熊。魚津城とともに室町─戦国期の新川郡守護代椎名氏の居城として知られるが、椎名氏は鎌倉前期の承久の乱後に新補地頭として当地に入部したとみられる。(中略)室町期に入ると、新川郡守護代となった椎名氏は北陸街道沿いの魚津城と松倉城を拠点とし、越中東部に勢力を扶植した。椎名氏は初め越後上杉氏に属していたが、永禄十一年(1568)春、椎名康胤は武田信玄と結んで上杉氏に敵対したため、翌年八月上杉輝虎(謙信)は軍勢を率いて松倉城を攻め、城主康胤は城を追われた(八月二十三日「上杉輝虎書状」大河原辰次郎所蔵文書)。こののち松倉城は魚津城と並んで上杉氏の有力支城となり、河田長親らの部将が在番して城を守った(後略)(「松倉城跡」『富山県の地名』平凡社)。

 

 

【考察】

*今回の史料は、もののけの定番中の定番、鬼について書き残されたものです。文学作品や絵巻物等(フィクション)に登場することは知っていましたが、まさか古記録(同時代の日記)に鬼の情報が書いてあるとは思いませんでした。この史料に登場した鬼は田畠を荒らす悪者だったのですが、村人は集団でその鬼を討ち取ったり、捕縛したりしたようです。

 さて、この鬼の特徴ですが、恐ろしく巨大で、身長は約60メートル、爪の長さ(1.8メートル強)だけでも人間の身長ぐらいありました。そして、その配色はなんともわかりやすい赤と青。室町時代では、すでに鬼といえば赤鬼と青鬼という、定番の配色ができあがっていたようです。鬼の彩色については、仏教や陰陽五行説が影響を与えているようなのですが(吉村耕治・山田有子「日本文化と中国文化における鬼を表す色 ―和文化の基底に見られる陰陽五行説―」『日本色彩学会誌』第42巻 第3号、2018 年https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcsaj/42/3+/42_114/_article/-char/ja/)、それでもなぜ赤と青が定番色になったのかはよくわかっていません。

 この問題を考えていくうえで参考になるのが、高橋昌明氏の「酒呑童子の原像」(『定本 酒呑童子の誕生』岩波書店、2020年)です。赤鬼の代表格としてすぐに思い浮かぶのは、大江山酒呑童子ではないでしょうか。『大江山絵詞』には酒呑童子が見事な朱紅色で描かれています。

 さて、氏の研究によると、鬼はもともと疫神(疱瘡神)のことを意味しており(3頁)、疱瘡に罹ると赤斑を出して顔面が赤く色づく症状が現れることから、酒呑童子は赤く描かれたものと考えられています(26頁)。おそらく、鬼=疱瘡神=赤色という連想が、中世には広まっていたのでしょう。

 赤鬼については、この説明で納得できるのですが、もう一方の青鬼はどうでしょうか。実のところ、青には冥界の亡者や異類の色に通じる気味悪いイメージや(河田光夫「『癩者』の装い」『中世被差別民の装い』河田光夫著作集・第二巻、明石書店、1995、64頁)、あの世とこの世の境の意味があったようなのです(筒井功常世浜は、村の先に位置する」『「青」の民俗学 地名と葬送』河出書房新書、2015年、116頁)。青色のもつあの世のイメージと、異界の住人である鬼のイメージが結びついて、青鬼というキャラクターが出来あがったのかもしれません。

 さて、もう一つ気になるのが、捕らえた鬼の処理法です。一つは定番の「水に流す」という方法。この方法については、以前「怪鳥来襲 ─バケモノの処理法─」という記事で触れたので、詳細はそちらに譲りますが、いわゆる「もののけ」の類は、焼いたり埋葬したりすることはなく、川(流水)に流して「祓う」のが当時の一般的な手法でした。青鬼はこの方法で処理されたのですが、問題はこの後です。国中の人々は、なんと寄ってたかって、鬼の体を切り取ったそうなのです。いったい全体、どういうつもりだったのでしょうか。私の狭い見識では、このような事例は他に聞いたことがありません。ひょっとして、鬼の肉を食べたのか…。

 山口県には、人魚の肉を食べて不老長寿になった女性の伝承が残されているのですが(http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/smallexhibition/H31-02.pdfhttp://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/umi30.pdf)、越中国の人々も鬼の肉を食べて、その超自然的な力を手に入れようとでもしたのでしょうか。それとも、バラバラにしなければ、蘇るとでも思ったのでしょうか。難しいとはわかっていても、このような疑問を解き明かす史料に、いつかは出会いたいものです。

 それにしても、爪だけで人間の身長もあるような巨大な鬼を、中世びとはよくも捕縛し、討ち取ったものです。まぁ、鬼の大きさなどの表現は、彼らがよくやる脚色なのでしょうが…。ただ、話を盛るにしても限度がありますね。