周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

楽音寺文書59 その5

    五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その5

 

*送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。

 この縁起の研究には、『安芸国楽音寺 ─楽音寺縁起絵巻と楽音寺文書の全貌─』 (広島県立歴史博物館、1996)、下向井龍彦「『楽音寺縁起』と藤原純友の乱」(『芸備地方史研究』206、1997・3、https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00029844)があります。

 

      ヘハ                     

 重勅命之上不固辞言、賜勅当面淀河津河尻浜、点

       シテ           シテ     

 大船少船、領和泉国河内国兆民黎民摂津国播磨国

           シテ              

 駈役夫人夫、点領小屋野印南野積茅萱荻薄載千艘

                     

 万艘、相待順風猛風火於舟中草梶於釜嶋方、然間

     ナルコト        ナルコト     リハ

 順風之急千船万船白浪追嵐之熾千燈万燈赤炎、自陸地

      シテ                 

 率千軍万軍鑣並蹄、発百笑千笑甲振冑、

                ルコト    ノヲノ

 依之純友城郭釜嶋自海上之吹懸火春乾野炎

        ルコト              ルヽ ニ ハ

 自陸地之発懸 箭夏黒雲雨、然間純友軍兵等漏火者

      ルヽ ノハ          

 不箭漏箭者不火不一人悉誅殺畢、

         ルコト   

 于舟積柴薄等 火順風事、

             

 倫実上洛時備前国河之時或神明変人故也云々、

     (絵5)

 

 「書き下し文」

 重ねて勅命の上は固辞の言に能はず、勅を当面に賜りて淀河の津河尻の浜を卜し、大船・小船を点じ、和泉国河内国を領して兆民・黎民を催し、摂津国播磨国を領して役夫・人夫を駈り、小屋野・印南野を点領して茅萱・荻・薄を苅り積み、千艘万艘に運び載せ、順風猛風を相待ち火を舟中の草に着け梶を釜が嶋の方に廻す、然る間順風の急なること、千船万船の白浪追風熾んなること千燈万燈の赤炎、陸地よりは千軍を率し万軍を率し鑣を列ね蹄を並ぶ、百笑を発し千笑を発して甲を傾け冑を振るふ、之により純友が城郭釜嶋は海上よりの火吹き懸かること春の乾く野の炎のごとく、陸地よりの箭を発し懸かること夏の黒雲の雨に似たり、然る間純友が軍兵等火に漏るる者は箭を遁れず箭に漏るる者は火を遁れず一人も漏れず悉く誅殺し畢んぬ、

 舟に柴・薄等を積み火を順風に着くる事、

 倫実上洛の時備前国の河を渡るの時或る神明人に変はる故なりと云々、

 

 「解釈」

 重ねて勅命を下されたうえは、固辞の言葉を申し上げることはできない。勅命を直にいただき、淀川の津である河尻浜を占い定め、そこで大船や小船を点検し、和泉国河内国を領有して多くの庶民を人夫として催促し、摂津国播磨国も領有し、そこでも人夫を催促して、小屋野や印南野を差し押さえ、茅萱や荻、薄を苅ってたくさんの船に運び載せ、強い追い風を待って火を船の中の草に着け、釜島の方角に梶を切った。そうしているうちに追い風が強くなり、たくさんの船が白波を立て、追い風が盛んになり、多くの船の燈火の赤い炎が見える。陸地からは数多くの軍兵を率い、騎馬兵が列をなして立ち並んでいる。軍兵らは大笑いして、身につけている甲冑を震わせながら進軍していった。これによって藤原純友の城郭釜島は、春の乾いた野原の炎のように海上からの焼き討ちの火が吹きかかり、夏の黒雲の雨のように、陸地からの矢が射掛けられた。そうしているうちに純友の軍兵らは、焼き討ちの火から逃れられたものは矢の攻撃から逃れられず、矢の攻撃が逃れられたものは焼き討ちの火から逃れられず、倫実勢は一人も討ち漏らすことなく、全員誅殺してしまった。

 船に柴や薄など積んで火を着け、追い風で釜島に着岸させたこと。

 藤原倫実が上洛したとき、備前国の川を渡ったとき、とある神が人間の姿に変わっ(て手助けしてくれ)たから(うまくいったの)である、という。

 

 「注釈」

「河尻」

 ─河尻は尼崎市を含む神崎川河口付近の総称で、瀬戸内海水運を通じて運ばれてきた物資は、河尻で川船に積み替えられ、神崎川・淀川を遡上して、京の外港的な役割を果たしていた淀にもたらされていた(田中文英「神津川流域の発達と港津」『Web版 図説 尼崎の歴史』中世編第1部、http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/02chuusei/chuusei1-1.html)。

 

「摧」─「催す」の誤字・当て字か。

 

「小屋野・印南野」

 ─尼崎市昆陽(こや)周辺と、明石市加古川市加古郡印南町周辺。実のところこの2ヶ所は、治承四年(1180)六月の福原遷幸時に、遷都候補地として提案された場所だったそうです(樋口健太郎「幻の『小屋野京』」『地域史研究』(尼崎市立地域研究史料館紀要)118、2018・11、http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/publishing/bulletin/contents/118.php)。

 

「点領」─「点定」と同じ意味か。

 

「傾甲振冑」─未詳。