周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

楽音寺文書59 その3

    五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その3

 

*送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。

 この縁起の研究には、『安芸国楽音寺 ─楽音寺縁起絵巻と楽音寺文書の全貌─』 (広島県立歴史博物館、1996)、下向井龍彦「『楽音寺縁起』と藤原純友の乱」(『芸備地方史研究』206、1997・3、https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00029844)があります。

 

                              

 倫実蒙勅宣之上不固辞言、申賜数万騎官兵向純友

                  ヲ  ス     ルコト

 城郭釜嶋、純友与倫実相互不命合戦、諸共無変 面

                           

 相闘、純友方闘載勝倫実方被打落畢、或被落海中

                           

 被害舟底、雖然倫実被打漏将存命、倫実擒死人腹膲

                          

 置自身腹上、于是飛攅鵄烏着鵰鷲裂彼肉

        ルニ               リト     

 眼精、倫実少令動揺鵄烏即飛散、純友見之疑有 生者仰

           シト(マヽ)          

 郎従舟中死人于一々可刺留云々、郎従随命以手鉾

      (マヽ)                

 于一々令刺留、倫実始現服年于蒙勅日一寸

      シテ                  

 二分薬師像髪中十二本願信敬、然倫実流涙屠

     ニシテ   シテ            

 肝凝信専 心発願 云、我始年十三于齢三十二、日夜

            ノム ノ(効)ナリ     シメタマヘ  

 所仰薬師本願朝暮所恃医王郊験、不本願 助

     クナラハ            セント   

 命、若如 所願一宇伽藍置 髪中霊像云々、然間

        ハル              

 祈念緊成感応忽呈 当応倫実之時自海中俄指出亀頸

                         

 軍兵見之各々啁眼面々咍笑、自然刺余倫実畢、倫実入

           

 入闇指棹降櫓忍着陸地

     (絵3)

 

 「書き下し文」

 倫実勅宣を蒙る上は固辞の言に能はず、数万騎の官兵を申し賜りて純友が城郭釜が嶋を発向す、純友と倫実と相互に命を惜しまず合戦す、諸共に面を変ふること無く相闘ふ、純友の方の闘ひ勝ちに載せ倫実の方打ち落とされ畢んぬ、或いは海中に切り落とされ或いは舟底に殺害せられる、然りと雖も倫実打ち漏らされ将に存命す、倫実死人の腹膲を擒ふるに自身の腹の上に置く、是に鵄烏飛び攅ひ鵰鷲翺着し彼の肉を抓き裂き眼精を鑒み啄む、倫実少し動揺せしむるに鵄烏即ち飛び散る、純友之を見て生きる者有りと疑ふ、郎従に仰せ付け舟中の死人一々に刺し留むべしと云々、郎従命に随ひ手鉾を以て一々に刺し留めしむ、倫実元服の年より始めて勅を蒙る日に至りて一寸二分の薬師の像を造りて髪中に籠して十二の本願を憑み信敬を致す、然るに倫実涙を流し肝を屠き信を凝らし心を専らにして発願して云く、我れ年十三より始めて齢三十二に至りて、日夜仰ぐ所は薬師の本願朝暮れに恃む所は医王の効験なり、本願を誤たず我が命を助けしめたまへ、若し所願のごとくならば一宇の伽藍を建立し髪中の霊像を安置せんと云々、然る間祈念緊く成り感応忽ちに呈はる、応に倫実を刺すべきの時に当たりて海中より俄に亀頸を指し出す、軍兵等之を見各々啁眼し面々に咍笑す、自然倫実を刺し余し畢んぬ、倫実夜に入り闇に入りて棹を指し櫓を降ろして忍びて陸地に着く、

 

 「解釈」

 藤原倫実は、勅宣をいただいたからには固辞する言葉を申し上げることもできず、数万騎の官兵をいただいて純友の城郭釜島に進発した。藤原純友と倫実は互いに命を惜しまず戦った。両者はともに顔色を変えることなく、互いに戦った。純友方は勝ちに乗じて倫実方を打ち負かした。倫実勢は一方では海中に切り落とされ、一方では船底で殺害された。ところが倫実は討ち漏らされ、たしかに生きていた。倫実は死人の内臓を取り出して自分の腹の上に置いた。ここに鳶や烏が飛び集まり、鷲などが舞い降りて、死者の肉を掻き切り、目玉を啄んだ。倫実は少し揺れ動いたので、鳥たちはすぐに飛散した。純友はその様子を見て生きている者がいるのではないかと疑った。郎党に命じて、舟の中の死人を一々突き刺せと言った。郎党は命令に従って手鉾で一々刺してまわった。倫実は、元服の年から始めて勅命をいただいた日に至るまで、一寸二分の薬師如来像を造って髪の中に込め、十二の本願を当てにして崇拝してまいった。だから、倫実は涙を流し、心の底から信仰心を集中して言うには、「私は十三歳から始めて三十二歳に至るまで、日夜崇拝するのは薬師如来の十二本願で、いつも当てにしているのは薬師如来の効験です。本願を違えることなく私の命をお助けください。もし願いのようになるならば、一宇の伽藍を建立し、髪中の霊像を安置しましょう」という。そうしているうちに、祈りの思いは堅固になり、薬師如来の感応はすぐに現れた。まさに倫実を刺そうとする時になって、海中から突如亀が首を差し出した。軍兵たちはこれを見て、各々大声を上げながら眺めて嘲笑した。そのせいで、たまたま倫実を刺し残してしまった。倫実は夜陰に乗じて、海中に棹を差し、櫓を下ろして、目立たないように上陸した。

 

 「解釈」

「屠肝」─未詳。ここでは「肝を屠(さ)く」と読んで、「心の底から」という意味を表していると考えておきます。