六〇 安芸国沼田庄楽音寺略縁起写 その2
*『広島県史』の読点の打ち方を変更したところがあります。
純友此時據二備前州釜島城一、妨二往来之船一奪二運送之資一、倫実率二官軍一攻二
釜嶌一尽レ力闘戦賊勢熾盛官軍敗積、或打二落海底一或斬二倒船中一、倫実未レ死而
在二伏尸一之間、便擒二死者之腹膲一而置二心腹上一塗二腥血於手足一欺為二死人一、
於レ是鵄烏飛攅鵰鷲来摯抓二裂彼肉一鑒二啄眼精一、倫実不レ堪小動揺、悪鳥斯散乱、
純友怪疑曰、船中之屍恐レ有二未レ死者一也、使三兵一一刺二殺之一、倫実嘗造二薬師
仏像一寸二分一、自二加冠之年一内二之髫中一、依レ頼二十有二誓願力一深致二
信敬一、至二于斯一愈益起信涕泣曰、吾始レ自二年十三一今至二齢三十二一、日夜
所レ仰薬師之聖約、朝暮所レ恃医王之効験、本願無レ誤則令二我命助一、苟如二
所願一則建二立一宇伽藍一、安二置髫中之霊像一、至誠之感応時而呈、当レ刺二
倫実一時卒然大亀出レ首、水上賊兵卒見之嘲笑移レ時、忘レ刺二倫実一而去矣、是以
倫実乗二闇夜棹レ船密上陸、直到二闕下一奏言凶賊強猛巨之力無能也、請 命二他
虎賁之士一、謹謝罪焉、
つづく
「書き下し文」
純友此の時備前国釜島城に據り、往来の船を妨げ運送の資を奪ふ、倫実官軍を率ゐ釜島を攻め力を尽くして闘戦すれども、賊の勢ひ熾盛にして官軍敗積す、或いは海底に打ち落とされ或いは船中に切り倒さる、倫実未だ死せずして伏せる尸在るの間、便ち死者の腹膲を擒へて心腹の上に置き腥血を手足に塗り、欺きて死人となす、是に於いて鵄烏飛び攅ひ、鵰鷲来たりて摯り、彼の肉を抓き裂き眼精を鑒み啄む、倫実堪へず少し動揺するに、悪鳥斯ち散り乱る、純友怪しみ疑ひて曰く、「船中の屍に未だ死せざる者有るを恐るるなり、兵をして一々之を刺し殺さしめよ」と、倫実嘗て薬師仏の像一寸二分を造り、加冠の年より之を髫中に内れ、十有二請願の力を頼むにより、深く信敬致す、斯に至り愈々益々信を起こし涕泣して曰く、「吾年十三より始め今齢三十二に至り、日夜仰ぐ所の薬師の聖約、朝暮恃む所の医王の効験、本願誤り無くんば則ち我が命を助けしめたまへ、苟も所願のごとくならば則ち一宇の伽藍を建立し、髫中の霊像を安置せん」と、至誠の感応時に呈はる、当に倫実を刺さんとする時、卒然として大亀首を出だす、水上の賊兵卒かに之を見、嘲笑して時を移す、倫実を刺すを忘れて去る、是を以て倫実闇夜に乗じ船を棹し密かに上陸す、直ちに闕下に到り奏して言く、「凶賊強猛にして巨き力無能なり、請ふ 他の虎賁の士に命ぜよ」と、謹んで謝罪す、
つづく
「解釈」
藤原純友はこの時、備前国釜島城を拠点としており、船の往来を妨げて運送している資財を奪っていた。藤原倫実は官軍を率い、釜嶋を攻めて戦ったが、賊軍の勢いは盛んで官軍は大敗した。ある者は海底に打ち落とされ、ある者は船中で切り倒された。倫実はまだ死んでおらず、横たわっている死体があったので、そのまま死者の内臓を取り出して自分の胸と腹の上に置き、生き血を手足に塗って、純友軍を騙して自身を死人とした(死人のふりをした)。ここに鳶や烏が飛び集まり、鷲などが飛来して、死者の肉をつかみ掻き切り、目玉を啄んだ。倫実は耐えられず少し動いたので、人に害をなす鳥はすぐに飛散した。純友はこの様子を怪しみ疑って言うには、「船の中の死体でまだ死んでない者がいるのを恐れているのである。兵に死体を一つずつ刺し殺させろ」と。倫実は以前に、一寸二分の薬師如来像を造り、元服の年からこれを髫の中に入れ、薬師如来の十二請願の力を頼りにすることにより、深く信敬してきた。ここに至っていよいよますます信心を起こし、涙を流して泣きながら言うには、「私は十三歳から始め、今の三十二歳に至るまで、日夜敬ってきた薬師如来の請願や、いつも頼りにしてきた薬師如来の効験、本願に誤りがないなら、私の命をお助けください。もし願いのようになるならば、一宇の伽藍を建立し、髫の中の霊像を安置しよう」と。倫実の真心に対する仏の感応はその時すぐに現れた。今にも倫実を刺そうとするとき、突然、大きな亀が首を出した。船上の賊兵たちはすぐにそれを見て、嘲笑っているうちに時間が過ぎた。そして、倫実を刺すのを忘れて立ち去ってしまった。こういうわけで倫実は闇夜に乗じて船を進ませ、密かに本土に上陸した。すぐに朱雀帝の御前にやってきて申し上げて言うには、「凶賊たちは強く勇ましくて多くの官軍は役に立たなかったのです。どうか他の勇猛な軍勢に討伐を命じてください」と。そして謹んで謝罪した。
つづく