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いつまで経っても修行中

楽音寺文書55

    五五 安芸国豊田郡梨子羽郷南方打渡状

 

  芸州豊田郡沼田庄 〈梨子羽」南方」打渡〉

      合

 薬師油免

  畠二反九畝    代五百九十五文    善哉坊

 竹ノ下

  畠壹反二畝    代百三十二文     弥 六

 阿ふら免

  畠一反四畝十歩  代三百五十七文    安楽坊

 西ノかいち                 安楽坊

  屋敷二畝     代百四十文      小四郎

 ほそ谷

  畠三反      代五百四十文     定智坊

 同所

  寺敷三畝     代三百文       安楽坊

 同所

  屋敷五畝     代五百文       善哉坊

 同所

  寺敷一反二畝   代一貫二百文     金剛坊

 同所

  寺敷三畝     代三百文       定智坊

 ほそた二所合

  畠一反二畝    代二百六十四文    金剛坊

 同所

  屋敷二畝     代八十文       宮 内

 おともさこ

  畠一畝十歩    代十四文       大郎兵衛

 ほそた

  田三畝十歩    米三斗        金剛坊

 同所

  田五畝      米四斗五舛      安楽坊

 同所

  田四畝廿歩    米四斗六舛      定知坊

 同所

  畠十歩      代四文        同 寺

 同所

  畠廿歩      代七文        金剛坊

 同所

  田五畝      米五斗        善哉坊

 同所

  畠廿歩      代廿四歩       弥 六

 同所道捽

  田一反三畝    米一石四斗      宮 仕

 ゑん光坊

  田一反      米一石一斗      大郎兵衛

 日輪坊

  畠一反一畝廿歩  代三百文       日輪坊

 同所油免

  畠貳反一畝廿歩  代四百五十文     大郎兵衛

 同所

  寺敷三畝     代三百文       日輪坊

 むかい畠

  畠二反八畝    代五百七十四文    孫 六

 前田                   安楽坊

  田一反四畝    米一石七斗五舛    小四郎

 同所

  田九畝十歩    米一石一斗一舛    日輪坊

 寺の前                   法持院

  畠二畝十歩    代六十文       孫 六

 楽音寺

  寺敷一反四畝   代一貫四百文     法持院

 同所前田                  正実坊

  田一反三畝十歩  米一石八斗七舛    三郎二郎

 同所

  寺敷一反三畝   代一貫三百文     正実坊

 同所せかき免                とうのうら

  田一反七畝十歩  米貳石六斗      六郎三郎

 同所三月三日祭田

  田三畝      米四斗二舛      源右衛門

 柳かくほ                  新やの

  田七畝      米九斗五舛      小兵衛

 同所

  畠一反廿歩    代廿八文       宮 仕

 とうのうら

  屋敷二畝     代百四十文      同 人

 同所

  畠一反四畝廿歩  代三百五十文     同 人

 同所

  田十歩      米三舛        同 人

 同所                   月光坊

  寺敷三畝     代二百十文      源右衛門

 同所

  畠貳反八畝十歩  代五百七十四文    同 人

 たけのふ                  竹信

  屋敷三畝     代二百十文      二郎兵衛

 同所

  田三反八畝十歩  米三石八斗三舛    同 人

 わの内                  元末の

  田三反四畝廿歩  米五石二斗      三郎左衛門

 西ノ御堂免

  田一反三畝廿歩  米一石四斗九舛    同 人

 元末                   元末

  屋敷二畝     代八十文       小三郎

 同所                   

  屋敷二畝     代八十文       後 家

 同所                   

  畠五反四畝廿歩  代一貫百十文     三郎左衛門

 同所

  田二畝      米一斗七舛      同 人

 すきうす

  田貳反四畝    米三石三斗六舛    同 人

 同所ノおく

  田一反三畝    米一石一斗七舛    同 人

 さんまい                  森安

  田四反九畝    米五石八斗八舛    惣右衛門

 同所

  屋敷三畝     代三百文       同 人

 やしき坪                  しゆうしん

  田五反九畝    米八石八斗五舛    三郎太郎

 舟越前

  田一反      米一石三斗      孫左衛門

 竹のふ

  田八畝十歩    米八斗三舛      助三郎

 てほふかいち

  田六畝十歩    米六斗九舛      小二郎

 同所

  田二畝      米二斗        三郎右衛門

 同所

  畠廿歩      代廿文        同 人

 同所

  畠廿歩      代廿文        小二郎

 同所

  田五畝廿歩    米三斗六舛      日輪坊

 つきのふ

  田一反      米一石二斗      助三郎

 同所

  畠廿歩      代廿文        同 人

 念仏田

  田一反一畝十歩  米九斗五舛      弥 七

 同所                   宗清の

  屋敷二畝     代百四十文      二郎右衛門

 同所

  畠廿歩      代廿文        同 人

 同所

  田四畝      米四斗四舛      同 人

 さんまい                  森安ノ

  田三反九畝    米一石六斗六舛    惣右衛門

 同所                   せんにゆう

  田二反廿歩    米一石一斗三舛    助右衛門

 同所

  畠廿歩      代廿文        同 人

 同所                   四分一の

  屋敷二畝     代八十文       二郎右衛門

 同所                   もり安ノ

  田四畝      米五斗四舛      惣右衛門

 同所

  畠一畝      代五文        同 人

 同所

  田四反一畝    米五石三斗三舛    二郎左衛門

 杉うす

  田二畝      米八舛        源四郎

 同所

  畠八畝廿歩    代百五十六文     同 人

 同所                   後家

  畠四畝      代九十六文      同 人

 河ノおく                  古屋敷の

  畠貳反六畝廿歩  代九百六十文     新兵衛

 同所                   元末ノ

  畠九畝      代三百五文      三郎左衛門

 同所                   かちの

  畠一反四畝十歩  代四百十文      五郎左衛門

 山口                   山口

  田三反二畝十歩  米三石二斗三舛    三郎右衛門

 同所ひゑ田                 

  田五畝十歩    米三斗三舛      新五郎

 はさこの前

  田一反八畝    米貳石七斗六舛    林 水

 か屋おき                  番匠ノ

  田一反壹畝    米壹石六斗      藤右衛門

 土井作                  谷の

  田一反二畝十歩  米壹石一斗一舛    又五郎

 同所

  畠壹畝      代十五文       同 人

 七反田三所合

  田六畝      米四斗八舛      日輪坊

 宗清道捽                  宗貞

  田八畝廿歩    米九斗        二郎右衛門

 赤そね                   預り

  田四畝      米二斗八舛      四郎右衛門

 砂田                   三反田の

  田一反一畝    米八斗八舛      二郎三郎

 念佛田

  田七畝十歩    米五斗二升      善哉坊

 大坪上                  下せんにゆう

  田一反      米一石二斗      助右衛門

 つきのへ

  田四畝      米四斗        二郎兵衛

 西畠

  畠一反七畝    代四百十文      彦右衛門

 同所                   寺田の

  田貳反二畝    米一石一斗      助二郎

 同所                   上せんにゆう

  田一反九畝    米九斗五舛      彦右衛門

 同所                   預り

  田廿歩      米五舛        四郎右衛門

 同所                   宗清の

  田二畝廿歩    米一斗        彦右衛門

 同所

  畠五畝廿歩    代六十八文      同 人

 同所                   預り

  畠一反      代百三十文      四郎右衛門

 せうた                   

  畠三畝      代六十文       惣右衛門

 かね安                   名丸の

  田八畝十歩    米五斗八舛      三郎右衛門

 あしかけ                  宗貞

  田一反      米六斗        九郎右衛門

 同所                   金剛坊

  田一反二畝    米八斗四舛      彦左衛門

 同所                   宗貞

  田三反八畝十歩  米四石三斗九舛    九郎右衛門

 上阿そう田                 上阿そう田

  畠一反七畝廿歩  代五百四十六文    助四郎

 下阿そう田

  畠五畝十歩    代百七十文      吉 介

                     上阿そう田

  屋敷二畝     代百四十文      助四郎

 かね安

  田一反廿歩    米一石        大郎右衛門

 柳なわて                  安宗の

  田一反六畝    米二石一斗      三郎右衛門

 たお                   下せんにゆう

  畠六畝      代七十文       助右衛門

 同所                   上せんにゆう

  畠一反      代百十文       彦右衛門

 山崎田捽                  

  畠一反二畝    代三百三十文     彦右衛門

 はしつめ

  田壹反一畝廿歩  米七斗九舛      三郎二郎

 阿しかけ                  圓光坊

  田一反三畝十歩  米六斗七舛      大郎兵衛

    田数八町貳反八畝廿歩

  以上

    米八拾三石六斗一升

  畠四町三反一畝廿歩

    代九貫三百五十九文

         二百八十五文めせん

  屋敷十八ヶ所   七反八畝

    代六貫九百文

         二百十二文めせん

   合拾六貫七百五十六文   九十七文銭

 幷而 百石三斗六舛六合 代方共ニ

     慶長五年(1600)       佐武 (元 眞)

       五月六日        三郎右衛門(花押)

                  三輪 (元 徳)

                   加 賀 守(花押)

                  蔵田 (就 貞)

                   東 市 介(花押)

                  兼重 (元 續)

                   和 泉 守(花押)

       楽音寺

       ◯以上、五三号カラ五五号マデノ三通ヲ一巻ニ収ム(第五巻)

 

 

 「注釈」

「めせん」

 ─目銭。「もくせん」「めぜに」とも読む。①一〇〇文未満の銭を束ねて一〇〇文として通用させる慣行(=省陌法・せいひゃくほう)において、省かれる銭。「五百文めせん十五文」と言えば一〇〇文について三文の目銭となる(『古文書古記録語辞典』)。この史料の銭貨収納の合計部分には「九十七文銭」と記載されているので、一緡は九十七文(九十七文で一〇〇文扱い)、目銭は三文とわかります。

 

*さて、伊藤俊一「省陌法をめぐって」(『室町期荘園制の研究』塙書房、2010年、初出2005年)を参考にしながら、畠・屋敷の銭貨収納分の計算をしておきます。

 まず畠についてですが、一筆ごとの収納額をそのまま合計すると、金額が「9貫359文」になります。つまり、収納時にはバラ銭「9359枚」が楽音寺に集まることになります。これを「バラ銭収納合計」と呼んでおきます。その後、このバラ銭は「93緡+バラ銭59文」の状態にまとめられます。これを「緡銭収納合計」と呼んでおきますが、史料の「代九貫三百五十九文」という記載はこの「緡銭収納合計」を指しているのです。

 さて、史料に記載されているように、緡銭は「1緡=97文」の省陌法よって結われるわけですから、「緡銭収納合計」である「93緡+バラ銭59文」の実際の銭の枚数は、「93緡×97枚+59枚=9080枚(9貫80文)」であることがわかります。バラ銭収納額「9貫359文」から緡銭収納合計の実枚数である「9貫80文」を引くと、「279文」という数字が算出されます。これをさらに緡銭にまとめると、「2緡+79枚」の状態になります。2緡の実数は「97枚×2=194枚」ですから、バラ銭が6枚増えることになります。よって、「2緡+79文+6文=285文」という数字が計上され、これが史料の「二百八十五文めせん」と一致することになるのです。

 同様の方法で、屋敷地も計算してみましょう。「バラ銭収納合計」は「6貫900文」であり、「69緡」の状態にまとめられます。この実際の銭の枚数は「69緡×97枚=6693枚(6貫693文)」となり、バラ銭収納合計「6貫900文」から引くと、「207文」という数字が算出されます。これを緡銭にまとめると「2緡+7文」の状態になります。「2緡」は「194文」なので、バラ銭が6文増えることになります。よって、「2緡+7文+6文=213文」という数字が目銭として計上されるはずです。ところが、文書では「212文」と記載されています。たった「1文」ですが、計算が合いません。畠分の計算結果に問題はなかったので、屋敷分の計算方法も間違っていないと思います。他に計算の仕方があるのかもしれませんが、おそらく「二百十二文」は「二百十三文」の誤記ではないでしょうか。

 中世びとが「省陌法(短陌法)」を採用した理由については、稲吉昭彦「中世日本の緡銭慣行」(『鷹陵史学』38、2012・9、https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_OS003800001910)、同「緡銭慣行」・「計算方法」(『中世後期日本における貨幣使用に関する研究』2015年、https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_HBA08101008016)を参照。