周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

チョー、ハカザキ! ─筋金入りのキス魔と悪口由来の隠語─ (A kissaholic in Medival Japan)

    文正元年(一四六六)閏二月五日条 (『蔭凉軒日録』2─93・94)

 

  五日 前二月晦日。以寛正年号文正云々。(中略)

 前夕招安富勘解由左衛門之次。所司代多賀豊後守東坊。浦上美作守。巣河次郎。

 宗湛。慶阿弥。小宴談笑消日。入夜秉燭竟帰去。以後晩浴如恒也。東坊曰。

 先日墓崎癖吸人口。仍於修理大夫宿所会集之次。依安富入道而強顔出来

 俄吸口。辞之不叶。竟吸了。安富以脚疾不便如此。老来役災。或為

 悲嘆。或為奇異。入浴則必於右京大夫殿右馬頭殿両面前而説之。為

 笑具云。東坊曰。日野殿内有石頭曰名者。又好而吸人口。仍為屈。

 彼墓崎欲彼口之。驚顚逃去云々。凡世上戯論之中。為希有事乎。

      マヽ

 後来可献之事。喚曰墓崎。人皆説之。尤可笑也。(後略)

 

 「書き下し文」

 五日 前の二月晦日、寛正年号を以て文正に改めらると云々。(中略)

 前夕安富勘解由左衛門の次いでに、所司代多賀豊後守・東坊・浦上美作守・巣河次郎・宗湛・慶阿弥を招く。小宴談笑日を消す。夜に入り秉燭し竟に帰り去る。以後晩に浴すること恒のごときなり。東坊曰く、先日の墓崎の癖人の口を吸ふ。仍て修理大夫の宿所に於いて会集するの次いでに、安富入道に依りて強顔出来し俄かに口を吸ふ。之を辞するも叶はず、竟に吸ひ了んぬ。安富脚疾を以て不便なること此くのごとし。老来厄災。或いは悲嘆と為し、或いは奇異と為す。入浴せば則ち必ず右京大夫殿・右馬頭殿の両面前に於いて之を説く。笑具と為すと云ふ。東坊曰く、日野殿の内に石頭と曰ふ名の者有り、又好みて人の口を吸ふ。仍て屈せんとして、彼の墓崎彼の口を吸はんと欲し之を逐ふ。驚き顛れ逃げ去ると云々。凡そ世上の戯論の中、希有の事と為す。後来嫌がるべきの事を喚びて墓崎と曰ひ、人皆之を説く。尤も笑ふべきなり。(後略)

 

 「解釈」

  五日。先日二月晦日に寛正の年号を文正にお改めになったそうだ。(中略)

 昨夕、安富勘解由左衛門元盛のついでに、所司代多賀豊後守高忠・東坊・浦上美作守則宗・巣河次郎・自牧宗湛・慶阿弥を招いた。酒宴で談笑しながら時を過ごした。夜になり灯火を持って帰っていった。その後、いつものように晩に湯浴みをした。(その時)東坊が言うには、「先日(二日)の宴会にいた日野勝光の被官墓崎若狭守には、人の口を吸う癖があります。だから、以前日野勝光の被官修理大夫の邸宅で集会をしていたついでに、安富元盛に近寄り厚かましく現れて突然口を吸おうとしたのです。元盛はこれを拒絶したが思い通りにならず、墓崎はとうとう元盛の口を吸ってしまいました。元盛は足の病気のせいで、このように気の毒なことになったのです。老年になって災難が降りかかってきました。悲しく思うし、または奇妙だとも思います。もしこのように湯あみの機会があれば、必ず元盛の主人である細川右京大夫勝元や右馬頭持賢ご両人の面前でお話ししたいものです。お笑い草だと思います」と言った。(また)東坊が言うには、「日野勝光殿の被官に石頭という名の者がいます。この人も好んで人の口を吸います。だから、あの墓崎は石頭を押し倒し、彼の口を吸いたいと思って追い掛けました。(ところが)石頭は驚いて転びながら逃げ去った」そうです。世間の無意味な話のなかでも珍しいことだと思う。これ以来、嫌がるようなことを呼んで墓崎と言い、人はみなこのように話している。いかにも笑える話である。

 

 Last night I invited Yasutomi Motomori and others. I spent time chatting at the banquet. After that, I took a bath in the evening as usual.
 At that time, Higashibou (a monk) said, "Hakazaki (samurai) who was in the banquet the other day has a habit of sucking people's mouth. He was approaching Yasutomi Motomori when he was meeting at the residence of a Hino Katsumitsu retainer and suddenly tried to suck his mouth. Motomori rejected it, but Hakazaki finally sucked Motomori's mouth. Motomori suffered this kind of damage because of a foot illness. He was suffering from such a disaster because he was old. I think I'm sorry for Motomori, and I think Hakazaki's habit is strange. I would like to talk about this event in front of Hosokawa Katsumoto and Hosokawa mochikata, who are the masters of Motomori. It's a really funny story. "
 Higashibou also said, “Ishizu (Hino Katsumitsu's vassal) also likes to suck in people's mouths, so Hakazaki pushed Ishizu down and tried to suck in his mouth. But Ishizu Was so surprised that he fell and ran away. "
 I think this story is very rare among the meaningless stories of the world. Since then, people have called something they hate Hakazaki. It's a really funny story.

 (I used Google Translate.)

 

 

 「注釈」

「安富勘解由左衛門」─安富元盛。

 

「多賀豊後守」

 ─多賀高忠(『朝日日本歴史人物事典』、https://kotobank.jp/word/多賀高忠-1087283)。

 

「東坊」

 ─頂法寺(六角堂)の僧で、有馬温泉で季瓊に初めて会っているそうです(綿田稔「自牧宗湛(下)」『美術研究』395号、2008・8、40頁・注1、https://tobunken.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=21&item_id=6191&item_no=1)。

 

「浦上美作守」

 ─浦上宗則(『朝日日本歴史人物事典』、https://kotobank.jp/word/浦上則宗-1058391)。

 

「宗湛」

 ─小栗宗湛。出家してのちの法名で、自牧と号した(『日本大百科全書』、https://kotobank.jp/word/宗湛-89579)。

 

右京大夫

 ─細川勝元(『朝日日本歴史人物事典』、https://kotobank.jp/word/細川勝元-14966)。

「右馬頭」

 ─細川持賢(『朝日日本歴史人物事典』、https://kotobank.jp/word/細川持賢-1108035)。

 

 

*この記事は、室町時代に実在した筋金入りのキス魔の史料として有名なようです(綿田稔「自牧宗湛(下)」『美術研究』393号、2008・3、24頁・注12、https://tobunken.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6185&item_no=1&page_id=13&block_id=21)。すでに、二木謙一氏「人を見ればやたらとキスをする変態大名」『誰かに話したくなる日本史こぼれ話200』日本文芸社、2006年、114頁)で取り上げられているので、以下、その文章を引用しておきます。なお、前述の「解釈」の多くは、この著書を参考にしたものですが、一部、私自身の解釈を優先したところがあります。

 

 文正元年(1466)閏二月、相国寺蔭凉軒主の季瓊真蘂という僧は、休暇を得て有馬温泉へ湯治に行った。彼は有馬滞在中に同浴の知人たちとさまざまな話を交わす機会を得たが、そこでなんとも妙な話を聞いた。

 それは、墓崎若狭守という人物の話であった。この男は、権大納言日野勝光の家中の者だが、人の口を吸う癖があり、それも男女、老少、美醜を選ばず、人を見ればキスをするというのだ。

 季瓊が安富勘解由左衛門、所司代多賀豊後守高忠、浦上美作守則宗ほか数人と宴飲した時にも、この墓崎若狭守の話が出た。この時同席していた東坊という僧が笑わせる話をした。それはここにいる安富勘解由左衛門も、勝光の家臣修理大夫某の宿所での集会の際、墓崎のために口を吸われたしまったことを暴露し、このことを、いつか安富の主君の細川勝元にも話してやりたいと言ったのである。

 東坊は口を開いたついでにと、さらにおかしな話を付け加えた。それはかの墓崎が苦しめられた話である。日野家には墓崎とは別にいまひとり口を吸う癖を持った男がおり、これが墓崎の口を吸おうとして追いかけたので、他人の口を吸って困らせていた墓崎も、わが身が吸われる立場になると、びっくり仰天して逃げ去ったというのだ。

 そして世間では、いやなことを意味して、〝墓崎〟といったという(『蔭凉軒日録』)。

 

 それにしても、最後から二文目が笑えます。「嫌がることを呼んで墓崎という」。悪口由来の隠語というものは、現代でも室町時代でも、同じようにできあがっていくようです。「今日はすごく嫌なことがあった」という場合、朝廷や幕府内では、「今日、甚だ墓崎有り(今日は、チョー〝墓崎〟なことがあった)」などという言葉が飛び交っていたのかもしれません。