周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

栄誉の質入

 中田薫「栄誉の質入」

    (『法制史論集』第三巻上、岩波書店、1994年、初出1925年)

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

一 P295

 徳川時代になった書物のなかで、借金を返済せぬ場合には、人中にて「御笑ひなされ候」ても差し支えないとか、その他同意味の特約を記入している万治や元禄の古証文に関する記事を載せているものがあるが、自分の知れるこの種の記事は次の三つである。

 その一は摂陽落穂集巻一(国書刊行会編新燕石十種五、三四四頁)に、往古銀借付証文のことと題して掲げてある左の証文である。

     借り受申銀子の事

  一銀百五十目

  右の銀慥に預り申候、万一此銀子返済致し不申事御座候はゞ、人中において御笑ひなされ候ふとも、其節一言の申分無之候、依而如件

   万治三年子五月             さの屋兵衛判

     はりまや嘉兵衛どの

 (中略)

 その二は甲子夜話巻五一(国書刊行会本第二、二七九頁)、商人心得草巻上(日本経済叢書巻七、五七七頁)(中略)。

 以上三種の記事に見えたるがごとき証書は、最後の商人心得草が「今時の証文に受人を幾人もくはへ、又引当等を書入ると同じ義理なるべし」と解しているごとく、法律的に之を言へば、自己の栄誉をもって債務の担保に供した特約であるが、この種の証文の現物は今日いまだ発見されざるのみならず、後世の思想をもってこれを見るときは多少不真面目のように感ぜられるので、この種の特約が果たして伝説のごとくかつて実際に行なわれたものであらうが如何と云ふ、疑が起こらざるを得ない。自分はもとよりこの疑問を決定すべき確約なる資料を持つているものではないけれども、かくのごとき特約は比較法制史の上から見て、けっしてあり得ないものではないと云ふこと、及び我徳川時代においてもかつてこれが実在したことを推測せしむるに足るべき、多少の材料がないでもないと云ふことだけを、以下に述べたいと思ふのである。

 

二 P297

 栄誉なるものは元来法律上の精度ではない。他人から人間として認識された人の社会的倫理的価値である。およそ人間が社会的共同生活を営んでいくためには、相互に人間としての価値を充分に認識し、これを尊重することが肝要であるから、この意味において栄誉は人間の社会的存在の基礎であり、栄誉の喪失は人の社会的死滅であると云ふことを妨げない。したがって栄誉感が旺盛なる社会では、不名誉は法律上の制裁たる刑罰よりも一層強力で、屡々後者に代用されることがある。而してこの事たるや、必ずしもその社会の文化の程度に比例するものではない。半開人や原始民族の間において、往々文明人よりも栄誉の感情がはるかに強烈である事例を見出すことがある。「グリンランド」の「エスキモー」族と共同生活をしたナンセン博士は、共著「エスキモーの生活」の中に左のごとき甚だ興味ある事実を報告している。

 「異教徒たる「エスキモー」人には他より被れる不法行為を、仲間の裁判に付すべきすべての機会が欠けていたと想像するものは誤っている。しかし彼らの裁判はまったく特種のもので、決闘の一種より成っていた。ただしこれは文明諸国におけるがごとく、精鋭なる武器をもって戦われるのではなく、「グリンランド」人は他の事柄同様、このことに関してもさらにいっそう合理的に進行した。すなわち彼は相手方に対して歌合戦あるいは太鼓踊を挑んだのである。(中略)当事者双方は、男女群衆の環視の中に相対立して、太鼓あるいは手鼓を打ちつつ、互いに交代して相手方を目当てに嘲歌を唱った。この歌はあらかじめ作っておくのが通例であるが、時としてはその場で即吟することもあった。

 →ラップのMCバトルと同じようなものか。

 

(中略)さればこの太鼓踊に敗れたがために、他所へ移住しなければならぬようなことすら発生するのである。(中略)

 →社会的共同生活を営むうえで必要な人間関係(信用)が破壊される。栄誉や恥辱は観念的なものではなく、物理的に影響を及ぼすから問題になる。

 

三 P299

 前述のごとく人の栄誉は、その社会的存在の基礎であるならば、それ自身は仮令人間の倫理的価値に留まるとするも、必ずや法律上においても、何らかの意味を有せざるを得ない理である。今古来諸国民の法律に現れている栄誉の意味を考察してみると、ほぼ次の二項にまとめることができる。その一は法律が各人の栄誉を保護していることである。もしも法律にいわゆる人格とは、自主自存の目的の認識に外ならずと云ひ得べくんば、栄誉はまさに人格の内容の一部をなすものであるから、人格の一の発露として、法律上の保護を受くべきは当然である。その二は法律が人の栄誉の失落に対して、ある種の効果を付与していることである。例えば人が社会的にその栄誉を減損した場合には、法律もまたそのものの権利能力の全部あるいは一部を剥奪し、あるいはその栄誉の減損を法定の形式をもって公示し、あるいはそのものに対して栄誉の保護を拒絶するがごとき場合である。而してこは完全なる栄誉を有するもののみ、よく完全なる権利能力を有し得べしとなす思想に起因するものであって、ローマ法ゲルマン法のRechtlos, Ehrlos の制、近世の公権剥奪刑のごときは、いずれも栄誉の減損に対応せしめたる権利能力の減損であるが、以下に詳論せんとほっする債務不履行者に対する凌辱法のごときもまた、同一の思想に胚胎する制出会って、債務不履行者に対するある程度における栄誉保護の拒否であると云ふを妨げない。

 いわゆる債務不履行者に対する凌辱法とは、法律が債権者および公衆に、債務不履行者を侮辱することを許す法制を指すものである。今日では借銭を返済しないものの恥辱は、たんに社会的たるに止まるが、古代の人民はしばしばこの社会的恥辱に、さらに法律上の意味および効果を付与し、法定の形式を通じて支払不能債務者を、公衆の凌辱に委ねている例が多い。(中略)」ギリシアヴィオティア人は「債務者を市場に引致して下座せしめ、彼に籠を被らしめて」彼の名誉を剥奪するの慣習が存したことを記録しているが、解する者は籠は頭に擬し、頭は人格を表すものであると言っている。

 ヴィオティアに行なわれてものと同様なる債務者凌辱法は、第十三世紀以来のイタリア諸都市法における財産委付(Cessio bonorum)の方式中にも多く現れている。その形式は年によって多少の相違はあるが、債務者は公衆の集合する場所にある特別の岩石または石柱の上に、無帽裸体の姿あるいはわずかに下着だけを着けて立ち、臀部にて三度彼の石を強く打ちて、予は財産を委付すと云ふ語を発しなければならぬというのが、まず普通の方式であったのである。(中略)

 翻って我日本の古法を調べてみると、少なくとも徳川時代の末期において、各地に分散者に対して、諸種の恥辱を伴わしむる慣習法が存在したことは、全国民事慣例類集四七三頁以降に散見している。例えば損害の小屋に住居せしめ、羽織を着け傘を用ゆることを許さず、村人と尋常の交際をなさしめないというような慣習である。

 

四 P303

 債務を弁済せぬものは、社会的にその栄誉を失落すると同時に、法律上においても債権者および公衆より、ある程度の凌辱を感受せねばならぬと考えられていた時代において、債務者があらかじめ特約をもって、債権者に対して債務不履行の場合には、債権者が特定の方法をもって、債務者の不名誉を公示する権利を付与することがあったとするも、毫も怪しむべきことではなかろう。この種の栄誉質入特約がかつて最も広く行なわれていた国はドイツであるが、同国では十四世紀以来、債務証書に債務者が義務に違反した場合には、債権者が言語・文書・詩歌あるいは絵画をもって、債務者を嘲笑し侮辱することを許す旨の文言、いわゆる凌辱文言を挿入している例が多い。

 →古代・中世のヨーロッパ、日本近世では事例に事欠かないが、名誉と恥辱にうるさそうな日本中世では、なぜ栄誉質入特約文言がないのか?日本中世は、比較的名誉や恥辱にうるさくないのか?それとも、名誉・恥辱という倫理的価値と、債権債務という経済的価値は、別のものと考えていたのか?ヨーロッパでは、債務不履行によって恥辱を受けるということは、経済的価値を倫理的価値に転換できたということになる。日本の中世びとにはそういう発想はなかったのか?倫理的価値と経済的価値は交換できないから、名誉の失墜(恥辱)を命(自殺)で補おうとするのか?江戸の3事例は無担保の借銭だから、凌辱約款が付加されただけか?中世では土地(権益)を担保にできていたから、そういう特約が見られないのか?では、中世では無担保の借銭は存在しないのか?無担保の借銭があった場合、どんな特約を付けていたのか? 

 

P304

 右の凌辱約款はドイツでは後に述べるがごとく、第十六世紀の末までは法律上有効であって、もし債務者が債務を履行せざるときには、債権者はこの約款に基づきて別に裁判を経ることを要せず、自力をもって直接に約款所定の方法により債務者を嘲罵することができたのである。いわば債務者の栄誉はその義務違反の結果として、あたかも流質のごとく債権者の掌裡に貴族するものである。これすなわちこの種の特約を栄誉の質入と称する所以である。