周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

広島県史 古代中世資料編Ⅳ

楽音寺文書15

一五 梨子羽郷楽音寺新燈油田坪付 (花押) 梨子羽郷 楽音寺新燈油田坪付事 安宗名 二里十坪三反六十歩 同十四坪一反三百歩 六里廿九坪一反六十歩 十二里十四坪二反六十歩 (半) 十二里十八坪一反六十歩 十八里十五坪斗 久弘名 十八里十八坪四反小 十一里廿…

楽音寺文書14

一四 沼田庄領家下文 (花押) (安芸豊田郡) 下 沼田庄梨子羽郷 可下早以二当郷安宗久弘名出田壱 町五反一〈坪付在」別紙〉引二募楽音寺燈油 田一致中祈祷上事 右相二当正検一、以二彼出田一、為二祈祷一、限二永代一」所レ令三奉二免件料田一也、 然則為…

楽音寺文書13

一三 日名内慶岳書状(折紙) 呉々、夫丸同前之」在所も於二御尋ニ一者、可レ」有二御座一之条、為二 御心得一」候、雲州御陣之時」被二仰出一旨も」候する哉、 法持院御抱京市」夫丸長々被二留置一候」条、対二貴所一御理」雖レ被レ仰候、 彼出入御」無二案…

楽音寺文書12

一二 寶□書状 預二御札一候、畏入存候、」抑 若宮御経免田地段」別之事、致二催促一之由蒙レ」 仰候、此事ハ去年閣被レ」申候之間、其分候之処、如レ此」承候、不二存知仕一候 間、不レ可レ及二」御沙汰一候歟、 内裏反銭」事ハ可レ有二御沙汰一候、追而」可…

楽音寺文書11

一一 毛利氏検地奉行人連署書状 楽音寺従二二王門一寺内之」検地、守護不入之御理」承候、当時何篇相替候」条、 重畳雖下用二捨千万一候上、」子細有レ之、御寺内之通、」堅蒙レ仰候之間、任二 先例一候、」恐惶謹言、 天正十八年 卯月八日 元相(花押) 庚…

楽音寺文書10

一〇 小早川隆景巻数并守札返事(折紙) 為二在陣祈念一、巻」数并守札被二送」越一令二祝着一候、殊両」種音信之通御」懇 之儀候、此表諸」所任二存分一候之条、太」慶候、恐々謹言、 極月五日 隆景(花押) ] ]返章 「書き下し文」 在陣祈念として、巻数…

楽音寺文書9

九 小早川弘平自筆書状 (院) 来春御上洛あるへきなと、」内々御物語共候、さやうに候ハヽ、」法持ゐんたん そく候ハんと」推量申候、然処鷹のとまり」さしをき可レ申候由承事候、心得」 申候、それさまへたいし、法持院」分のとまり閣申候、左も候ハヽ」御…

楽音寺文書8

八 小早川弘平自筆書状 尚々御注文進之候、此下ニ」書写候て可レ給候、惣て時儀を」具にあそハし 候て、残候て其分」可レ被二申遣一候、 又志芳並瀧寺」より源十郎かたへ、」如レ此申越候、為御」披見進之候、 昨日者以二書状一令レ申候処、委」細御返事之趣…

楽音寺文書7

七 小早川弘平自筆書状(折紙) 尚々存る子細候て」如レ此申候、思召分」らるへく、」かしく、 (備後御調郡) 連々礼儀を無沙汰候間、与風」因島江罷渡候、軈而々々帰宅」仕可二申承一候、仍 度々承候つる」金剛坊事、年内之儀者、」先々如レ今にて被レ置候…

楽音寺文書6

六 比丘尼浄蓮自筆書状 (端裏書) 「 [ ] 」 真道房便宜証文委承候了、 一楽音寺院主御代官職事、可レ為二」真道房之由仰給候、御一期之間」何御弟子 ニも御計候ハん事者、」其旨こそ、まほりまいらせ候ハん」する事ニ候へハ、 別子細ニ不レ及候、」其付…

楽音寺文書5

五 地頭尼浄蓮代浄円陳状 安芸国沼田庄内梨子羽郷地頭尼浄蓮代浄円謹弁申 当郷内楽音寺僧隆憲称二院主一虚名企二奸謀偽訴一無レ」謂子細事 (裏花押) 右当寺者、天慶年中、本下司草創之寺、建永以後地頭」補任之地也、自レ而以来 為二地頭氏寺一、領家断レ…

楽音寺文書4

四 六波羅施行状案 (豊田郡) 安芸国沼田庄雑掌実厳、与二梨子羽郷 」地頭小早河美作守〈法名」本仏〉 女子尼浄蓮代唯心一、相論条々、 一田地十四町余事 一楽音寺田地事 右任二今年四月十二日関東御下知一、可レ令レ致二沙汰一之状如レ件、 (1288) 正応…

楽音寺文書3

三 関東下知状案 (豊田郡) (茂平) 安芸国沼田庄雑掌実厳、与二梨子羽郷地頭小早」河美作守法師〈法名」本仏〉 女子尼浄蓮代唯心一、相論條々、 一田地十四町余事 右訴陳之趣、雖レ多二子細一、所詮去文永八年、遂二当庄検注一之」時、地頭 門田事、依レ…

沼田庄について

橋本圭一「沼田庄」 (『中国地方の荘園』講座日本荘園史9、吉川弘文館、1999年) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 【荘域】豊田郡。古代の沼田郡・沙田(ますだ)郡の二郡にあたる。沙…

楽音寺文書2

二 比丘尼浄蓮申状 (豊田郡) 安芸国沼田庄内梨子羽郷」雑掌申、本門田并楽音寺」敷地事、為下令二明申一候上、 差二進」代官唯心一候、以二此旨一可レ有二申」御沙汰一候、恐々謹言、 (1282) 弘安五年七月廿五日 比丘尼浄蓮(裏花押) 進上 御奉行所御中…

安芸国楽音寺

『安芸国楽音寺 ─楽音寺縁起絵巻と楽音寺文書の全貌─』 (広島県立歴史博物館、1996) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 「楽音寺の歴史」 《沼田庄と沼田氏》 楽音寺は、真言宗御室仁和寺…

楽音寺文書1

解題 当寺は、沼田庄の開発領主であった沼田氏が創建した寺である。現在は真言宗であるが、応永以前は天台宗であった。この寺創建の事情を同寺縁起絵巻は次のように記している。沼田氏の先祖藤原倫実は承平天慶のころ安芸国に配流されていたが、藤原純友が乱…

中村儀三郎氏所蔵文書2(完)

二 毛利氏奉行人書状(切紙) 在陣被レ遂二 御祈念一御久米被二差渡一候、則頂戴候、遠方御懇之儀難二申尽一之 候、又先日□階罷渡候時、御久米并御樽慥相届候、重々御心付忝存候、此表事朝鮮 国無二残所一至二唐堺一推詰御隙明候、帝王其外諸公家衆至大明国…

中村儀三郎氏所蔵文書1

解題 中村家は、代々、醤油醸造や塩浜の経営をしていた。明治初めに下市村(竹原市竹原町)戸長などをつとめている。 一 毛利輝元書状(切紙) ○以下二通、東大影写本ニヨル (小早川) 急度申入候、明後日廿六隆景乗舟候条、無二御油断一御渡海肝要候、仍動…

唐崎文書1(完)

解題 唐崎家は代々竹原礒宮の神主を勤めた。当家にはほかに隆景連歌を蔵している。 一 吉川広家書状 為二其結願成就一申入候、御祈念所レ仰候、猶舜教可レ申候、恐々謹言、 十二月三日 広家(花押) 「書き下し文」 其の結願成就のため申し入れ候ふ、御祈念…

永井文書2(完)

二 関東御教書 護 伊予国北条郷地頭多賀江入道申、守○使乱入事、訴状遣レ之、於二篝松役所々一者、 被三停二止使入部一了、而被二放入一之条、甚無二其謂一、自今以後可レ被二停止一 之状、依レ仰執達如レ件、 (1240) (北条泰時) 仁治元年後十月五日 前…

永井文書1

解題 多賀谷(多賀江)氏は鎌倉時代に地頭として武蔵国から伊予国周桑郡北条郷に入部した東国武士である。南北朝時代末期には本拠を安芸国蒲刈島・倉橋島方面に移している。この文書はこの多賀谷氏に伝わった文書で現在は姻戚の永井氏に所蔵されている。 一…

竹林寺文書(小野篁伝説) その8(完)

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その8 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その7

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その7 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その6

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その6 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その5

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その5 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その4

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その4 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その3

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その3 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その2

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その2 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その1

解題 詞書と絵を交互に描いた縁起上下二巻があり、この寺の由来を述べている。小野篁にゆかりのある真言宗の古刹である。 竹林寺子院の一乾蔵房の本尊であった地蔵菩薩半跏像の胎内には建武五年(1338)造立になる旨の墨書がある。また、本堂の須弥壇内…