二 真田弘通売券
売渡申本銭返下地之事
(安芸豊田郡)
坪者本郷之内源内林
合参段代拾五貫文
三段八斗代
(安芸豊田郡)
右田地依二要用有一、仏通寺智泉院祠堂分仁、沽却申所実也、但雖レ有二本銭一、
(康正二年) (寛正六年)
自二丙子歳一至二乙酉歳一十ヶ年之内、不レ可二請返申一候、以後十ヶ年之内、
何時以二本銭一可二請返申一候、二十ヶ年過候者、永代可レ為二智泉院之御領一候、
若於二子々孫々一有二違乱煩申一候、可レ為二不孝一候、仍万雑公事、臨時天役除レ
之者、縦雖レ有二天下一同御徳政一、限二此下地一不レ可レ有二相違一者也、為二
後日一証状如レ件、
(1455) (後筆) 真田左京亮
康正元年「乙亥」十二月十三日 弘通(花押)
○二号カラ六号、八号カラ一〇号ノ八通ハ三原市立図書館蔵ノ写真ニヨル
「書き下し文」
売り渡し申す本銭返下地の事
坪は本郷の内源内林
合わせて参段代拾五貫文
三段八斗代
右田地要用有るにより、仏通寺智泉院祠堂分に、沽却し申す所実なり、但し本銭有りと雖も、丙子の歳より乙酉の年に至る十ヶ年の内、請け返し申すべからず候ふ、以後十ヶ年の内、何時にも本銭を以て請け返し申すべく候ふ、二十ヶ年過ぎ候はば、永代智泉院の御領と為すべく候ふ、若し違乱煩ひ申す者有り候はば、不孝と為すべく候ふ、仍て万雑公事、臨時天役之を除く者なり、縦ひ天下一同の御徳政有りと雖も、此の下地を限り相違有るべからざる者なり、後日の為証状件のごとし、
「解釈」
本銭返契約で売り渡し申す下地のこと。
坪は本郷のうち源内林。
合計参段。代銭十五貫文。
三段八斗代(段別八斗の得分がある)。
右の田地はお金の必要があったので、仏通寺智泉院持仏堂分として売り渡し申すことは事実である。ただし、買い戻し代金(売却代金)十五貫文が用意できたとしても、康正二年(1456)から寛正六年(1465)に至る十年間は買い戻すつもりはありません。それ以後の十年間は、いつでも代金十五貫文によって買い戻すつもりです。買い戻すことなく二十年が過ぎましたなら、永久に智泉院の所領としてください。もし違反や妨害を致す者がおりましたら、不孝者とみなすつもりです。万雑公事や臨時の天役については、そちら様(仏通寺側)が支払う必要はないのである。たとえ天下一同の徳政令が発せられたとしても、この下地に限っては契約を違えるつもりはないのである。将来のために作成した証文の内容は以上のとおりである。
「注釈」
「智泉院」─仏通寺の院家で、評定衆のメンバー(『仏通寺文書』23号)。
「有違乱煩申候」
─この部分については、「有違乱煩申者候者」のように、「者」を二箇所補うべきだと考えられます。
「臨時天役除之者」─「者」の後に「也」が抜けているか。