三 真田頼澄売券
売渡申永代下地之事
合参段者 〈坪 真良之内」かきの木つほ、梅木坪」くろはさ〉
右件下地者、為二仏通寺之正法院領一、除二臨時天役万雑公事一、限二永代一売渡申
所実也、殊為二頼澄今世後世費一、寄進ニ申定上者、聊忌(忩)劇候共不レ可レ
有二相違一者也、若於二子孫一違乱煩之儀申者候者、可レ為二不孝人一者也、仍
証文之状如レ件、
(1479)
文明十一年〈乙亥〉九月十八日 頼澄(花押)
「書き下し文」
売り渡し申す永代下地の事
合わせて参段てへり 〈坪 真良の内柿木坪、梅木坪くろはさ〉
右件の下地は、仏通寺の正法院領として、臨時天役・万雑公事を除き、永代を限り売り渡し申す所実なり、殊に頼澄の今世・後世の費えの為、寄進に申し定むる上は、聊か忩劇候ふとも相違有るべからざる者なり、若し子孫に於いて違乱煩ひの儀申す者候はば、不孝人と為すべき者なり、仍て証文の状件のごとし、
「解釈」
永代売り渡し申す下地のこと。
合計三段。〈坪は真良村の内柿木坪と梅木坪くろはさ〉
右の下地は、仏通寺正法院領として、臨時天役や万雑公事を除いて、永久に売り渡し申すことは事実である。とりわけ私頼澄の現世・来世の祈祷費用のため、寄進地として決め申し上げたからには、ちょっとした騒動があったとしても、契約を違えるつもりはないのである。もし子孫で違反や妨害をいたす者がおりましたら、不孝者とみなすつもりである。よって、売寄進の証文は以上のとおりである。