解題
当院は、仏通寺山内五派の一つである。長享元年(1487)、小早川扶平が宗綱恵統を開祖として開いたものである。一号・七号文書のほかは三原市立図書館蔵の写真から採録した。
一 真田則通売券
(則通)
(花押)(花押)
うり渡申候本銭返下地之事
合貳反代十貳貫文者
(安芸豊田郡)
在つほハ真良村〈二分」方〉内是弘名
右件田者、ようようあるによんて、うりわたし申所実也、但雖レ有二本銭一、十年よりうちハ請返申ましく候、後十年中に本銭をもつて請返申へく候、若廿年すき候ハヽ、永代尾道光厳寺之可レ為二御寺領一候、如レ此うり申候上ハ、りんしてんやくあるましく候、仍後日うりけん如レ件、
(1432) 真田長門守
永享四年〈ミつのへ」ね〉十二月三日 則通(花押)
「書き下し文」(漢字仮名交じりに変えています)
売り渡し申し候ふ本銭返下地の事
合わせて二反代十二貫文てへり
在り坪は真良村〈二分方〉内是弘名
右件の田は、要用有るによつて、売り渡し申す所実なり、但し本銭有りと雖も、十年より内は請け返し申すまじく候ふ、後十年中に本銭を以て請け返し申すべく候ふ、若し二十年を過ぎ候はば、永代尾道光厳寺の御寺領と為すべく候ふ、此くのごとく売り申し候ふ上は、臨時天役有るまじく候ふ、仍て後日売券件のごとし、
「解釈」
本銭返契約で売り渡し申す下地のこと。
合計二反。代銭十二貫文。
坪は真良村二分方のうち、是弘名にある。
右の田は、お金の必要により、売り渡し申すことは事実である。ただし、買い戻し代金(売却代金)十二貫文を用意できたとしても、今から十年のうちは当然、買い戻すつもりはありません。今から十年後以降二十年以内に、買い戻すつもりです。もし、買い戻すことなく二十年が過ぎましたならば、永久に尾道光厳寺の寺領としてください。このような契約で売り申し上げましたからには、臨時の天役がそちら(光厳寺)に賦課されることはありえません。よって、後日の証拠のために作成した売券の内容は以上の通りです。
「注釈」
「光厳寺」─未詳。
「天役(点役)」
─天役とも書く。臨時に賦課された雑役。①調停が賦課した臨時課税、造内裏役や大嘗会役などの一国平均役。②領主から賦課される兵糧米など。
→「一国平均役」─古代・中世に、荘園公領を問わず、公田段別に一律に賦課された国役。大嘗会役・造内裏役・伊勢神宮役夫工米などで、国衙・守護を通じて徴収された(『古文書古記録語辞典』)。