二三 小早川盛景寄進状
(端裏書)
「結縁灌頂免寄進状 竹原殿」
奉二寄進一
楽音寺領畠之事
右志者、於二 薬師如来御宝前一、毎年」不レ闕可レ令レ修二結縁灌頂一、依レ有二
(郎)
所願一為二」彼灯油并塩噌一、梨子羽郷〈南方〉太良丸名之内」山田畠伍段、除二諸
公事一永代令二彼寺」寄附一畢、於二行事一者頼春僧都任二」置文一、尽未来際不レ
可レ有二退転一者也、」子々孫々守二此掟一、弥可レ令二貴敬一、仍寄」進状如レ件、
(1439)
永享十一年〈己未〉七月八日 平盛景(花押)
「書き下し文」
寄進し奉る 楽音寺領畠の事
右の志は、薬師如来の御宝前に於いて、毎年闕かず結縁灌頂を修せしむべし、所願有るにより彼の灯油并びに塩味噌の為、梨子羽郷南方太郎丸名の内山田畠五段を、諸公事を除き永代彼の寺に寄附せしめ畢んぬ、行事に於いては頼春僧都の置文に任せ、尽未来際退転有るべからざる者なり、子々孫々此の掟を守り、いよいよ貴敬せしむべし、仍て寄進状件のごとし、
「解釈」
寄進し申し上げる楽音寺領の畠のこと。
右の私の意向は、本尊薬師如来の御宝前において、毎年怠ることなく結縁灌頂を執行させなければならないというものである。こうした願いがあるので、法会の灯油や塩味噌代を賄うために、梨子羽郷南方の太郎丸名のうち山田の畠五段を、諸公事を免除して永久にこの楽音寺に寄附した。寺の行事については、頼春僧都の置文のとおりに、永久に中断してはならないものである。子々孫々に至るまでこの掟を守り、ますます貴び敬わなければならない。よって、寄進状は以上のとおりである。