解題
御手洗は近世「沖乗り航路」の港町として発達した町である。多田家は当地の豪商であり、近世から近代にかけての文書多数を蔵していた。その中に中世に遡りうる六通の文書の写があるのでこれを所収した。
いずれも多田家の中世末の状況を示すものである。
一 小早川興景仮名書出写
宜レ任
三郎兵衛尉
大永八(1528)
四月廿六日 興景書判
忠三郎兵衛尉殿
*書き下し文・解釈は省略します。
解題
御手洗は近世「沖乗り航路」の港町として発達した町である。多田家は当地の豪商であり、近世から近代にかけての文書多数を蔵していた。その中に中世に遡りうる六通の文書の写があるのでこれを所収した。
いずれも多田家の中世末の状況を示すものである。
一 小早川興景仮名書出写
宜レ任
三郎兵衛尉
大永八(1528)
四月廿六日 興景書判
忠三郎兵衛尉殿
*書き下し文・解釈は省略します。