一一 小田高清書状
悴家被拘候様可預御指南候、向後於国隠へ申候之条、不能一二候、恐々謹言、
卯月十二日 高清(花押)
(切封ウハ書)
「 (就栄)
岡和泉守殿 小田民部少輔
(春忠) 高清
井上又右衛門尉殿 御返報 」
「書き下し文」
悴家拘られ候ひ御指南に預かるべく候ふ、向後国に於いて隠さへ申し候ふの条、一二にする能はず候ふ、恐々謹言、
「解釈」
我が家はそちら様とかかわりまして、ご指南に預かろうと思います。今後、自国では隠し続け申し上げますので、この件を詳らかにすることはできません。
*『三原城城壁文書(県立三原高等学校所蔵)』11号文書に同じ。
一二 毛利輝元書状
元太之儀頓落去候、誠御心遣御短息故候、大慶此事候、仍御太刀一腰御馬一疋
令進之候、表御祝儀計候、尚此者可申候、恐々謹言、
卯月六日 輝元(花押)
隆景 参 御陣所
「書き下し文」
元太の儀頓に落居し候ふ、誠に御心遣ひ・御短息の故に候ひ、大慶此の事に候ふ、仍て御太刀一腰・御馬一疋之を進らせしめ候ふ、御祝儀を表すばかりに候ふ、尚ほ此の者申すべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
本太城攻めの件はすぐに決着しました。本当に小早川隆景殿のお心遣いとご尽力のおかげです。このうえなくめでたいこととは、まさにこのことです。そこで、御太刀一腰と御馬一疋を進上させます。お祝いの気持ちを表しただけです。この使者が詳細を申し上げるはずです。恐々謹言。
*『三原城城壁文書(県立三原高等学校所蔵)』12号文書に同じ。