周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

猪突猛進!

  宝徳三年(1451)九月十三日条 (『康富記』3─278頁)

 

 十三日戊申 晴、

  (中略)

 是日或語云、今月七日就春日神木御入洛事、被制止之由、綸旨御教書等被成下南都、

 使節奉行三人下向之日、朝之程、於宇治邊、自或藪中猪走出、(割書)「自元負手歟

 云々、」渡宇治、差京方欲上歟之處、川之面二三丈游而、游返而、平等院前藪中走

 歸、於彼篁中忽死云々、爲希代之有様之間、自宇治注進管領云々、如何々々、傳説

 也、承及分聊注之、

 

 「書き下し文」

 是の日或るひと語りて云く、今月七日春日神木御入洛の事に就き、制止せらるるの

 由、綸旨・御教書等南都に成し下さる、使節奉行三人下向の日、朝の程、宇治辺りに

 於いて、或る薮の中より猪走り出づ、(割書)「元より手を負ふかと云々、」宇治を

 渡り、京方を差して上らんと欲する歟の処、川の面を二、三丈游ぎて、游ぎ返りて、

 平等院の前の薮の中を走り帰り、彼の篁の中に於いて忽ち死すと云々、希代の有様た

 るの間、宇治より管領に注進すと云々、如何如何、伝説なり、承り及ぶ分聊か之を注

 す、

 

 「解釈」

 この日、或る人が語って言うには、「今月七日、春日大社のご神木が都にお入りなろうとした件について、それを止めなさるという綸旨と御教書などを、興福寺にお下しになった。その命令を実行するための奉行三人が下向した日の朝に、宇治あたりである藪の中から猪が走り出てきた。もともと手傷を負っていたのだろうか。宇治川を渡り、都の方を目指して上ろうとしていたのか、川の水面を六、九メートルほど泳いでから戻ってきて、平等院の前の藪の中に走り帰り、その竹藪のなかで死んだそうだ。世にも稀な様子だったので、宇治から管領に注進した」という。いったいどういうことか。噂である。聞き及んだ分を少しばかり書き記した。

 

 「注釈」

管領」─畠山持国

 

*いったいこの出来事のどこが、世にも珍しいところだったのでしょう。猪が爆走したことか、爆泳したことか、泳ぎ帰ってきたことか、平等院の藪の中に突っ込んだことか、そこで急死したことか、そのすべての過程か。わざわざ管領にまで報告していることを踏まえると、これも不吉な出来事だったのでしょう。使節が下向しているときに猪を見ると、何か不吉なことが起きるのでしょうか。春日の神の祟りなのでしょうか。謎は深まるばかりです。

 

*追記

 その後、山本幸司氏の「穢とされるその他の事象」(『穢と大祓』解放出版社、2009)を読んでいると、猪に関するおもしろい指摘に気づきました。本来野生動物の死は穢の対象とならなかったそうですが、天永3年(1112)、猪の死は豚に準じて穢の対象とされたそうです。これは平安時代の事例ですし、山本氏も猪の死を穢とみなす決定が「以後の慣例となったかどうかは不明である」と述べられているので、今回の史料解釈にそのまま適用することはためらわれるのですが、猪の頓死は、穢観念を背景にした不吉の兆候だったのではないでしょうか。ひとまず、このような解釈をしておきます。

井上文書 その7(完)

   一 五行祭文 その7

 

      衆生     (佛體)        (具足)

 されハしゆしやうハもとよりふつたいなり、三しんおくそくせり、いかなる

 (悪霊)  (悪) (悪魔)(悪)(邪魔)(外道)       

 あくりやうあく鬼あくまあく神しやまけとうもそのたよりおへからす、仏神とも

 (守護) (加)      (光) (草露) (消) (薬)  (病原)

 しゆこおくわへ給ハヽ、日くわうのさうろおけし、やく王のひやうけんおいやす

  (如) (災難) (自)   (滅)  (今生) (必)  (滅)

 か事し、さいなんおのつからめつし、こんしやうかならすめつすへし、なに物か

 (望)      (早)      (萬里)    (拂)  (福裕)

 のそミおなさん、はやくしつふうおはんりのほかへはらい、ふくゆふおしよらくの内

  (保)      (謹)  (敬)      (祭文)          (巻)

 ニたもたしめ給へ、つゝしミうやまんて申五形のさいもんはん事つうようお一くわん

 (誦) (奉)

 しゆしたてまつる、さいはいゝゝゝゝ、

  やまハ三ツいえハ九ノツ、これハ又鬼ノすミカもいハやなりけり、

       元(1489)

     延徳二年庚戌二月十四日

               ぬしありうかさへも三郎

              寺原平左衛門 正繁

   おわり

 

 「書き下し文」(必要に応じて、ひらがなを漢字に改めています)

 されば衆生はもとより仏体なり、三身を具足せり、いかなる悪霊・悪鬼・悪魔・悪

 神・邪魔・外道もその便りを得べからず、仏神ども守護を加へ給はば、日光の草露を

 消し、薬王の病原を癒すがごとし、災難自ずから滅し、今生必ず滅すべし、何物か望

 みを為さん、早く疾風を万里の外へ払い、福裕を諸楽の内に保たしめ給へ、謹み敬つ

 て申す五行の祭文万事通用(ヵ)を一巻誦し奉る、再拝再拝、

  山は三つ家は九つ、これは又鬼の棲家も岩屋なりけり、

   おわり

 

 「解釈」

 だから、衆生はもともと仏体なのである。三身を備えているのである。どのような悪霊・悪鬼・悪神・邪魔・外道も、そのよすがを得ることはできない。仏身らがお守りくださるなら、日光が草に置く露を消し、薬王菩薩が病原を癒すようなものである。災難は自然と消え去り、現世で必ず消えてなくなるはずだ。これ以上、何を望もうか、いや何も望まない。早く疫病を万里の外に払い、様々な楽しみのなかに富裕な幸せを保たせてください。謹み敬い申し上げる五行祭文の万事通用を祈り、この一巻を唱え申し上げる。再拝再拝。

  山は三つ、家は九つある。これはまた、鬼の棲家、岩屋であった。 

   おわり

井上文書 その6

   一 五行祭文 その6

 

 (抑)     (行)     (木)       (阿閦佛)  (招提龍)

 そもゝゝかの五きやうのはしめもく神と申ハ、東方あしゆくふつしやうたいりう王と

 (現)  (青)(色)  (以) (春)  (甲)(乙)   (領)       (火)

 けんし、あおきいろおもんて、はる三月きのへきのの方りやうし給へ、つきにくわ神

      (寶生)   (釋提龍)         (赤)       (夏)

 申ハ南方ほうしやう如来やくたいりう王とけんし、あかきいろおもんて、なつ三月

 (丙)(丁)  (巳午)            (金)     (阿彌陀)

 ひのへひののミむまの方りやうし給へ、つきニこん神と申ハ西方あミた如来やくた

      (現)  (白) (色)    (秋) (庚) (辛) (申酉)

 いりう王とけんし、しろきいろおもんて、あき三月かのへかののさるとり方りやうし

       (水)      (釋迦牟尼)              (黒)

 給へ、つきにすい神と申ハ北方しやかむに如来こくたいりうとけんして、くろきいろ

      (冬)  (壬) (癸)  (亥子)          (土)

 おもんて、ふゆ三月ミつのへミつののいねの方りやうし給ふ、つきにと神と申ハ、中

                   (黄)       (季)(土用)(丑)(辰)

 央大日如来おうたいりやう王とけんし、きなるいろおもんて四きのとよううしたつ

 (未) (戌)           (智)         (降) (世明)

 ひつしいぬりやうし給へ、あるいハ五ちの如来といんハ、東方かう三せミやう王とけ

      (圓鏡智)   (生)    (鈷ヵ)(印) 梵字)(字)(誦)

 んして、大ゑんきやうちおしやうして、五このいんおもんて⬜︎しおしゆして、さうち

       (肝) (臓)(加持)      (軍荼利夜明)

 やうおもんてかんのさうおかちしたまう、南方くんたりやミやう王とけんし、

  (平等性智)         (寶珠)  (印)  梵字)(字)

 ひやうとうしやうちおしやうし、ほうしゆのいんおもんて⬜︎しおしゆし、おうしきち

       (心) (臓)         (威徳夜叉明)

 やうおもんてしんのさうヲかちし給ふ、西方大いとくやしやミやう王とけんし、

  (妙観察智)                     (字)

 ミやうくわんさんちおしやうし、八ようのいんおもんて、 しおしゆして、ひやうち

       (肺) (臓)         (金剛夜叉明)

 やうおもんてはいのさうおかちし給ふ、北方こんかうやしやミやう王とけんして、

  (成所作智)      (羯磨) (印)  梵字)(字)

 しやうささちおしやうし、かつまのいんおもんて⬜︎しおしゆし、はんしきちやうおも

   (腎) (臓)          (動脱)     (法界體性智)

 んてしんのさうおかちし給ふ、中央大聖不明王とけんし、ほうかいたいしやうちお

 (生)    (鈷ヵ)(印)  梵字) (誦)           (脾)(臓)

 しやうして、五このいんおもんて⬜︎字おしゆし、一こつちやうおもんてひのさうお

 (加持)

 かちし給ふ、

   つづく

 

 「書き下し文」(必要に応じて、ひらがなを漢字に改めています)

 抑も彼の五行の始め木神と申すは、東方阿閦仏・青体龍王と現じ、青き色を以て、春

 三月甲乙の方を領し給へ、次に火神と申すは、南方宝生如来・赤体龍王と現じ、赤き

 色を以て、夏三月丙丁の巳午の方を領し給へ、次に金神と申すは、西方阿弥陀如来

 白体龍王と現じ、白き色を以て、秋三月庚辛の申酉の方を領し給へ、次に水神と申す

 は、北方釈迦牟尼如来・黒体龍王と現じて、黒き色を以て、冬三月壬癸の亥子の方を

 領し給ふ、次に土神と申すは、中央大日如来・黄体龍王と現じ、黄なる色を以て四季

 の土用丑辰の未戌を領し給へ、或いは五智の如来というは、東方降三世明王と現じ

 て、大円鏡智を生じて、五鈷の印を以て[梵字]字を誦して、双調を以て肝の臓を加

 持し給う、南方軍荼利夜叉明王と現じ、平等性智を生じ、宝珠の印を以て[梵字]字

 を誦し、黄鐘調を以て心の臓を加持し給ふ、西方大威徳夜叉明王と現じ、妙観察智を

 生じ、八葉の印を以て、 字を誦して、平調を以て肺の臓を加持し給ふ、北方金剛夜

 叉明王と現じて、成所作智を生じ、羯磨の印を以て[梵字]字を誦し、盤渉調を以て

 腎の臓を加持し給ふ、中央大聖不動明王と現じ、法界体性智を生じて、五鈷の印を以

 て[梵字]字を誦し、壱越調を以て脾の臓を加持し給ふ、

   つづく

 

 「解釈」

 さて、この五行神の始め木神と申すのは、東方阿閦仏・青体龍王として姿を現し、青い色をもって、春の三ヶ月、東の方角をお治めになる。次に火神と申すのは、南方宝生如来・赤体龍王として姿を現し、赤い色をもって、夏の三ヶ月、南の南東(南南東)の方角をお治めになる。次に金神と申すのは、西方阿弥陀如来・白体龍王として姿を現し、白い色をもって、秋の三ヶ月、西の南西(西南西)の方角をお治めになる。次に水神と申すのは、北方釈迦如来・黒体龍王として姿を現し、黒い色をもって、冬の三ヶ月、北の北東(北北東)の方角をお治めになる。次に土神と申すのは、中央大日如来・黄体龍王として姿を現し、黄色を持って、四季の土用、北東と南西をお納めになる。あるいは、五智の如来というのは、東方降三世明王として姿を表し、大円鏡智を生み出し、五鈷の印をもって[梵字]を双調の音で唱えることによって、肝の臓をご加護になる。南方軍荼利夜叉明王として姿を現し、平等性智を生み出し、宝珠の印をもって[梵字]を黄鐘調の音で唱えることによって、心の臓をご加護になる。西方大威徳夜叉明王として姿を現し、妙観察智を生み出し、八葉の印をもって、[梵字]を平調の音で唱えることによって、肺の臓をご加護になる。北方金剛夜叉明王として姿を現し、成所作智を生み出し、羯磨の印をもって、[梵字]を盤渉調の音で唱えることによって、腎の臓をご加護になる、中央大聖不動明王として姿を現し、法界体性智を生み出して、五鈷の印をもって、[梵字]字を壱越調の音で唱えることによって、脾の臓をご加護になる。

   つづく

 

 「注釈」

「五智」

大日如来が備え持つという五種の知恵の総称。密教で、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智の五つとする(『日本国語大辞典』)。

 

「大円鏡智」

 ─仏語。仏の四智・五智の一つ。有漏の第八阿頼耶識を転じてうる無漏智で、大きな円鏡が万物の影をことごとく映すように、すべての真実を照らし知る仏の智恵。密教では金剛という。大円鏡(『日本国語大辞典』)。

 

「双調」

 ─雅楽十二律の音名の一つ。基音である壱越から.六番目の音。トの音に相当(『日本国語大辞典』)。

 

「平等性智」

 ─仏語。①唯識宗でたてる四智の一つ。末那識から転じて得られる智恵。彼此の差別にとらわれず、平等であると悟る智。②密教で説く大日如来の五智の一つ。事物は本来平等であると悟る智慧。五仏のうち開敷華王仏に配当される(『日本国語大辞典』)。

 

「黄鐘調」

 ─雅楽六調子の一つ。黄鐘の音(イ音)を主音、すなわち宮音とする旋法。おうしき(『日本国語大辞典』)。

 

「妙観察智」

 ─仏語。四智・五智の一つ。存在の相を正しくとらえ、仏教の実践を支える智。第六識(意識)を転じて得られるという(『日本国語大辞典』)。

 

「平調」

 ─①雅楽十二律の音名の一つ。基音である壱越から三番目の音。ホの音に相当する。②雅楽の六調子の一つ。平調の音を主音、すなわち宮音とする調子(『日本国語大辞典』)。

 

「成所作智」

 ─仏語。唯識論で四智の一つ。密教では五智の一つ。諸仏が一切衆生を聖道に入らせるために、種々の神通を現ずる作業を成就完成していること(『日本国語大辞典』)。

 

「盤渉調」

 ─雅楽、唐楽の六調子の一つ。盤渉(洋楽のロ)の音を主音にした調べ(『日本国語大辞典』)。

 

「法界体性智」

 ─真理の世界の本性を明確にする智(山下琢巳「修験道〈五體本有本来佛身〉説」『東京成徳短期大学紀要』第38号、2005年、http://www.tsc.ac.jp/library/bulletin/detail/pdf/38/t_yamashita.pdf)。

 

「壱越調」

 ─雅楽の六調子の一つ。壱越の音、すなわち洋楽音名の「ニ」の音(d)を主音とした音階(『日本国語大辞典』)。

井上文書 その5

   一 五行祭文 その5

 

             (曰)                    (云)

 かるかゆへに、あるもんにいわく、ふもしよしやうしんそくせう大かくいとゆふ、

         (凡夫) (悪口)           (崇)   (經論)

 しかりといへともほんふハあくかうしんちうニして仏神ヲあかめす、きやうろんお

 (信)          (敬)    (罪業) (恐)       (心)

 しんせす、ふもしちやうおうやまわす、さいかうおヲそれす、いよゝゝこゝろおほし

       (間)      (魔)     (憎)  (悪霊) (悪魔)(悪)

 いまゝにするあいた、大六天のま王ハこれおにくミ、あくりやうあくまあく神鬼神

            衆生  (悩)    (道) (妨)   (眞智) (玉)

 あらミさきとなつて、しゆしやうおなやまし、仏とうヲさまたけ、しんちのたまお

 (奪)    (家)  (災難)  (起)    (身)(煩)  (致)

 うはいとり、いへにハさいなんおヲこし、そのミわつらいおいたさしむ、かるかゆへ

   (今)(信心)  (檀那)(無) (丹誠)  (運)         (眞)

 に、いましんしんの大たんなむ二のたんせいおはこひ、一心しやうゝゝゝま事お

 (致)         (廣前)    (諸々)  (供物) (供) (精誠)

 いたし、五形神のうつのひろまへにしかももろゝゝくもつおそなへ、せいゝゝお

                 (龍)  (始)(奉)    (行者)

 いたすところなり、はやゝゝ五たいりう王おはしめたてまつり、きやうしやヲ

 (加持) (施主) (守護)

 かちし、せしゆおしゆこし給へ、

   つづく

 

 「書き下し文」(必要に応じて、ひらがなを漢字に改めています)

 かるが故に、ある文に曰く、父母所生身速証大覚位と云ふ、然りと雖も凡夫は悪口甚

 重にして仏神を崇めず、経論を信ぜず、父母師長を敬わず、罪業を恐れず、愈々心を

 恣にする間、第六天の魔王は此れを憎み、悪霊悪魔悪神鬼神荒御崎となりて、衆生

 悩まし、仏道を妨げ、真智の玉を奪い取り、家には災難を起こし、其の身煩いを致さ

 しむ、かるが故に、今信心の大檀那無二の丹誠を運び、一心清浄真を致し、五行神の

 うつの広前にしかも諸々の供物を供へ、精誠を致す所なり、早々五大龍王を始め奉

 り、行者を加持し、施主を守護し給へ、

   つづく

 

 「解釈」

 だから、ある文に言うには、「父母から生まれた身のまま、速やかに大いなる悟りの境地に達することができる」と言う。そうではあるが、凡夫は悪口が甚だひどく仏神を崇めず、経論を信じず、父母や先生・年長者を敬わず、罪業を恐れず、ますます思いのままに振る舞うので、第六天の魔王は凡夫を憎み、悪霊・悪魔・悪神・鬼神・荒御崎となって、衆生を悩まし、仏道を妨げ、悟りを開いた智の玉を奪い取り、家には災難を起こし、その身を煩わせる。だから、いま神仏を信心している大檀那は、二つとない真心をもって、心を清浄にし、五行神の御前に様々な供物を供え、誠意を尽くすのである。早々に五大龍王に祈り申し上げ、行者に仏の力を与え、施主を守護してください。

   つづく

 

 「注釈」

「ある文」─『菩提心論』のことか。

 

「第六天の魔王」

 ─仏語。第六天である他化自在天(仏語。六欲天の最高第六位に位する天。この天に生まれたものは他の作り出した楽事を受けて自由に自分の楽とするという。魔王の住所とされる)には、この天の高所に別に魔王の住所があるとされたところからいう『日本国語大辞典』)。

 

「あらみさき」

 ─「ミサキ」は民族的信仰生活の中で、ある時には神のように敬われ、ある地域では悪霊として恐れられ、ある場合には神の使者として畏れられる存在。異常な死に方を遂げた者をミサキと呼ぶ場合もあり、また時にはある特定の地点をミサキと呼ぶ。より抽象的に言えば、ミサキとは、空間的な境界・時間的境界・生と死の境界・人と神との境界を指す言葉だそうです(間﨑和明「ミサキをめぐる考察」(『社学研論集』8、2006・9、https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=15967&item_no=1&page_id=13&block_id=21)。この場合、「荒ぶる悪霊」のような存在と考えられます。

 

「五大龍王

 ─「五龍」。①中国古代の伝説的帝王。②中国で五行説に基づく五つの龍王。蒼龍、赤龍、黄龍、白龍、黒龍。角龍(木仙)、徴龍(火仙)、商龍(金仙)、羽龍(水仙)、宮龍(土仙)など。③中国の道教やわが国の陰陽道で雨乞いにまつる神。五龍神。④(イ)一蛇頭をもつ一頭龍王をはじめ、三頭、五頭、七頭、九頭の五つ。(ロ)嚩里迦龍王、母止隣陀龍王、阿難陀龍王、無熱悩龍王、娑竭羅龍王の五つ。(ハ)一七一龍王の一つ(『日本国語大辞典』)。

井上文書 その4

   一 五行祭文 その4

 

       (法華)   (諸法)            (法)(説)

 さうしてこのほつけニハしよほう十さうゆいう一しやうのほうときヲ、十如十さうに

 (善悪)

 せんあくふ二しやしやう一如おとき、あるいハこんし三かいかいせかう、五ちうしゆ

    (七)

 しやうしつせ五し二こんししよたしよけんなんゆいか、一人のういくこなりとうんう

           (界) 衆生   (皆)(我子)       (眷属ヵ)

 ん、このもんの心ハ三かいのしゆしやうハミなわかこなり、もろゝゝのけん[ ]も

           (救) (守)       (上)(衆生      (佛體)

 たゝわれ一人のミよくすくいまふり給ふ也、そのうへしゆしやうハもとよりふつたい

  (具足)   (頭)         (表)   (足)(方)   (地形)

 おくそくせり、かうへのまるなるハ天ヲひやうし、あしのはうなるハちきやうおひや

     (體) (阿修羅)(寶生)(彌陀)(釋迦)          (眼)

 うす、五たいハあしゆらほうしやうミたしやか大日の五仏なり、二のまなこハ日月の

 (両輪)          (穴)  (曜)

 りやうりんなり、かうへの七けつハ七ようおひやうす、九けつハ九ようおひやうす、

  (両)  (手)   (節)              (宿)(千手)

 又りやうのてニ廿八のふしあり、これハすなわち天の廿八しゆくせんしゆの廿八

 (部衆)  (法華)   (品)                 (以)

 ふしゆ、又ほつけの廿八ほんおひやうするなり、すなわちこのミおもんて、あるいハ

   (印) (結)      (經巻)   (取)     (呪具) (持)

 てにいんおむすひ、あるいハきやうくわんおとり、あるいハしゆくおもち、

 (口) (經趣)   (誦)  (心)  (観念)  (致)  (慈悲心)

 くちニきやうしゆおしゆし、こゝろニくわんねんおいたし、しひしんおゝこせハ三神

     (相應)   (卽身成佛)    (疑)

 すなわちさうわうしてそくしんしやうふつうたかいなし、

   つづく

 

 

 「書き下し文」(必要に応じて、ひらがなを漢字に改めています)

 惣じて此の法華には諸法実相ゆいう一乗の法を説き、十如実相に善悪不二生死一如を

 説き、或いは今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処・多諸患難・唯我

 一人・能為救護なりと云々、此の文の心は三界の衆生は皆我が子なり、諸々の眷属も

 唯我一人のみよく救い守り給ふなり、其の上衆生は元より仏体を具足せり、頭の丸な

 るは天を表し、足の方なるは地形を表す、五体は阿修羅・宝生・弥陀・釈迦・大日の

 五仏なり、二の眼は日月の両輪なり、頭の七穴は七曜を表す、九穴は九曜を表す、又

 両の手に二十八の節あり、此れは則ち天の二十八宿・千手の二十八部衆、又法華の二

 十八品を表するなり、則ち此の身を以て、或いは手に印を結び、或いは経巻を取り、

 或いは呪具を持ち、口に経趣を誦し、心に観念を致し、慈悲心を起こせば三身則ち相

 応して即身成仏疑い無し、

   つづく

 

 「解釈」

 だいたいこの法華経には、諸法実相、一乗の法を説き、十如実相に善悪不二・生死一如を説き、あるいは今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処・多諸患難・唯我一人・能為救護であるという。この法華経譬喩品第三の文の内容は、「欲界・色界・無色界の三界の衆生は、みな私の子である。様々な眷属たちも、ただ私一人だけがよく救い守りなさるのである。その上、衆生はもともと仏身を備えている。頭が丸いのは天を表し、足が方形であるのは大地を表す。五体は、阿修羅・宝生如来阿弥陀如来・釈迦如来大日如来の五仏である。二つの眼は日月の両輪である。頭の七穴は七曜を表す。九穴は九曜を表す。また両方の手に二十八の節がある。これはつまり天の二十八宿・千手の二十八部衆、また法華経の二十八品を表すのである。つまり、この体をもって、あるいは手に印を結び、あるいは経巻を手に取り、あるいは呪具を持ち、口に経を唱え、心に仏の姿を思い描き、慈悲心を起こせば、三身は和合して即身成仏は疑いない。

   つづく

 

 「注釈」

「諸法実相」

 ─仏語。この世に存在するあらゆる事物のありのまま真実の姿。ただし解釈は一様ではなく、般若波羅蜜とするもの、言語や思考を越えた絶対否定の理とするもの、あるいは空・有を越えた絶対肯定の中道の理とするものなどがある(『日本国語大辞典』)。

 

「一乗」

 ─①世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え。法華一乗、華厳一乗、本願一乗などとして用いられる。→一乗の法(仏語。一乗真実の意で、主として法華経を指す)。②一番優れた教えの意(『日本国語大辞典』)。

 

「十如実相」

 ─「実相」は仏語。一切のもののありのままの真実のすがた。生滅・無常を離れた、万物の真相。森羅万象、あらゆる現象の仮のすがたの奥にある真実の相。真如。本体。一如(『日本国語大辞典』)。

 

「善悪不二」

 ─仏語。善も悪も二つのものではなく、仏法の平常無差別の一理に帰着するということ。悟った立場からみると、善悪の区別はなく、ひとしく真如のあらわれであるということ(『日本国語大辞典』)。

 

「三界」

 ─仏語。一切の衆生の生死輪廻する三種の迷いの世界。すなわち、欲界・色界・無色界をいう(『日本国語大辞典』)。

 

「眷属」

 ─①血のつながっているもの。親族。一粟。うから。やから。②従者。家来。配下の者。家の子郎等。③仏語。親類、師弟の関係にあって互いに相随順する出家、在家の者。狭くは仏の親族、広くは仏の教えを受ける者すべてをいう(『日本国語大辞典』)。ここでは③の意味か。

 

「五体」

 ─身体の五つの部分。筋、脈、肉、骨、毛皮の称。一説に、頭、頸、胸、手、足、または頭と両手、両足。転じて、からだ全体。全身(『日本国語大辞典』)。

 

「五仏」

 ─真言密教の両部曼荼羅法身大日如来と、如来から生じた、これをとりまく四仏。金剛界胎蔵界の五仏があるが、実は同体とする。金剛界では、大日(中央)・阿閦(東)・宝生(南)・阿彌陀(西)・不空成就(北)をいい、胎蔵界では大日(中央)・宝幢(東)・開敷華王(かいふげおう=南)・阿彌陀(西)・天鼓雷音(北)をいう(『日本国語大辞典』)。ここでの五仏の並びを見ると、金剛界五仏に似ています。不空成就如来と釈迦如来は同体と考えられている(「釈迦如来」真鍋俊照編『日本仏像事典』吉川弘文館)ので、阿修羅と阿閦如来を同体と見なす考え方があったのか、あるいは阿修羅と阿閦を書き間違えたのかもしれません。

 

「七穴」

 ─人間の顔にある七つの穴。左右の耳、左右の目、左右の鼻孔、口をいう(『日本国語大辞典』)。

 

「七曜」

 ─古代中国の天文学で、歳星(木)・熒惑星(火)・鎮星(土)・太白星(金)・辰星(水)の五星に、日・月を加えていう語(『日本国語大辞典』)。

 

「九穴」

 ─九竅(きゅうきょう)に同じ。人間、哺乳動物の体にある九つの穴。両眼、両耳、二つの鼻孔、口、前後の陰部の総称(『日本国語大辞典』)。

 

「九曜」

 ─日・月・火・水・木・金・土の七曜星に、羅睺星と計都星を加えたもの。本来は、インドの天文学で九惑星として数えあげた名称で、日本には密教の星辰信仰を介して知られるようになり、陰陽家が、人の生年月などに配当して運命を占った(『日本国語大辞典』)。

 

二十八宿

 ─月・太陽・春分点冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二八個定め、これを宿と呼んだもの(『日本国語大辞典』)。

 

二十八部衆

 ─千手観音の眷属で、真言陀羅尼の誦持者を守護する二十八人の善神の総称(『日本国語大辞典』)。

 

「即身成仏」

 ─仏語。人間が現世で受けた肉体のままで仏になること。真言密教の教義で、三密加持して、衆生が仏と一体になり、衆生の本来有している仏の法身を証して成仏することをいう。即身菩提(『日本国語大辞典』)。