周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書43 (完)

   四三 本尊點眼回向法語

 

  (端裏書)

  「佛工大宮

   本尊安座點眼回向 金岡和尚御自筆」

         仰惟三寶 俯埀昭鑒

                     (金岡)

 大日本國安芸州佐西郡應龍山洞雲禅寺住持比丘用兼普勧 諸大旦那貴賤道俗上下

 男女之結縁、募浄財以奉彫刻釈迦文佛佛文殊普賢大權逹磨護法善神之像

 今月今日涓取吉日良辰以伸供養、堂頭和尚點眼安座讃揚佛事之次、謹命

 前清⬜︎同音諷演大佛頂万行首楞嚴神咒集功徳回向 十方三世無量諸佛諸

 天龍王護法善神 般若會上十六善神招寶七卽大權修理菩薩 伽藍土地護法冥王掌簿

 判官感應使者 南方火徳星君火部聖衆 總日本國内諸大權現諸大明神 白山妙理大

 権現 嚴島兩大明神 祇薗牛頭天王 北野天滿大自在天神若宮侍衛神祇専願 皇

 風永扇帝道遐昌佛日增輝法輪常轉 大旦那各ニ身宮安泰福壽綿延次冀 山門鎭静法

 幢紹隆僧衆無恙旦信皈崇中外咸安火盗潛消法界群生同圓種智者十方三世一切諸

 佛諸尊菩薩摩訶薩摩訶般若波羅蜜

  (後闕)

 

 「書き下し文」

 「仏工大宮

  本尊安座点眼回向 金岡和尚御自筆」

        仰ぎ惟みれば三宝、俯して照鑒を垂れ給へ

 大日本国安芸州佐西郡應龍山洞雲禅寺住持比丘用兼普く諸大旦那・貴賤・道俗上下男女の結縁を勧め、浄財を募り以て釈迦文仏・仏文殊・普賢・大権・逹磨・護法善神の像を彫刻す、今月今日吉日良辰を涓び取り以て供養を伸ばす、堂頭和尚点眼・安座し仏事を讃揚するの次いでに、謹んで現前の清衆(カ)に命じ、同音に大佛頂万行首楞嚴神咒を諷演す、集むる所の功徳は、十方三世無量の諸仏・諸天・龍王護法善神、般若会上十六善神・招寶七即ち大權修理菩薩、伽藍土地護法の冥王・掌簿判官・感応使者 南方火徳星君・火部聖衆 総日本国内諸大権現・大明神 白山妙理大権現 厳島両大明神 祗園牛頭天王 北野天満大自在天神・若宮侍衛神祇に回向す、専ら願はくは、皇風永扇・帝道遐昌・仏日増輝・法輪常転、 大旦那各々に身宮安泰・福寿綿延せんことを、次に冀はくは、山門鎭静・法幢紹隆・僧衆無恙・旦信皈崇・中外咸安・火盗潛消・法界群生は同じく種智を圓かにせんことを、十方三世一切諸仏、諸尊菩薩摩訶薩般若波羅蜜

 

 「解釈」

  「仏師大宮

   本尊の安置開眼供養 金岡和尚の御自筆」

         仏法僧を敬って思うに、謹んで御仏のご覧を賜りたい。

 大日本國安芸国佐西郡應龍山洞雲禅寺住持僧金岡用兼は、広くさまざまな大檀家・あらゆる身分の人々・出家・在家の男女の結縁を勧め、浄財を募り、それで釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩・大権修理菩薩・達磨・護法善神の像を彫刻した。今月今日の縁起の良い日を選び取って、御仏への供養を増やす。住職の和尚が開眼・安置供養をし、御仏の徳を発揚するついでに、謹んで目の前にいる修行僧に命じて、口を揃えて大佛頂万行首楞嚴の呪文を唱える。集めたその功徳は、あらゆる場所と時間に存在する多くの諸仏・諸天・龍王護法善神、般若会上の十六善神・招寶七郎つまり大權修理菩薩、伽藍や土地の護法冥王・掌簿判官・感応使者、南方火徳星君・火部聖衆、総日本国内諸大権現・大明神 白山妙理大権現、厳島両大明神、祗園牛頭天王、北野天満大自在天神・若宮侍衛神祇に差し向ける。ひたすら願うことは、天皇の仁政が長く続き、天皇のご政道がはるかに栄え、仏の光明がますます輝き、仏法がいつも引き継がれ盛んになり、大檀家それぞれに身体の安泰と幸福長命が続くことである。次に願うことは、洞雲寺が鎮まり、仏法が引き継がれ盛んになり、洞雲寺の僧侶が無事であり、檀那や信徒が仏法を信仰し、寺の内外がみな安全で、火事や盗賊の被害がなくなり、全宇宙のあらゆる生き物が等しく持っている仏の智慧の種が円かに開けることである。あらゆる場所と時間の一切の諸仏、諸菩薩、偉大なる衆生、大いなる仏の智慧よ。

 

 「注釈」

「大佛頂万行首楞嚴神咒」

 ─『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』の第七巻に載せる呪文(「臨黄ネット」http://www.rinnou.net/cont_01/kyouten.html#%9E%BF%8C%B5%8E%F4)。

 

*本尊開眼・安置供養の功徳を回向された神仏については、以下の論文を参考にしました。二階堂善弘「祠山張大帝考」(『関西大学中国文学会紀要』二八、二〇〇七・三、http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/867/1/KU-1100-20070300-50.pdf)、同「民間信仰における神形象の変化について」(『東アジア文化交渉研究』一、二〇〇八・三、http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/3177/1/journal01-16-nikaido.pdf)。

 また、回向文の読み方や解釈は、「實相寺花園会報」(第五二号、二〇一三・三、http://jissouji.net/info/wp-content/uploads/2015/05/hanazono52.pdf)を参考にしました。

イカれた女 Part1 〜不法侵入とお告げ〜 (A crazy woman)

  文安四年(1447)五月一日条 (『建内記』8─122)

 

 一日、壬辰、晝雨、

  (中略)

 政所 (貞國)

 伊勢入道眞蓮許へ女房十六七歳ナルカ於庭徘徊、老若成畏怖、又狂人かと尋之、彼

         足利義教

 云、非物狂也、我ハ普廣院殿御使也ト云、其證如何ト問ケレハ、懐中ヨリ紙ニ褁タル

 文ノ躰ナル物ヲ取出て、これコソ」普廣院殿御書ヨト云之、披見スレハ紙ノ内ニ青キ

 草一アリ、不思議事也、仍可被始御祈祷之由有沙汰之由、伊勢入道被官人称之云々、

   観智院殿へ(義教本妻、裏松宗子)

 先日上御所へ普廣院殿御使とて参ける同人歟云々、

 

 「書き下し文」

 一日、壬辰、昼雨、

  (中略)

 政所伊勢入道眞蓮の許へ女房十六・七歳なるが庭に於いて徘徊す、老若畏怖を成す、又狂人かと之を尋ぬ、彼云く、物狂に非ざるなり、我は普廣院殿の御使なりと云ふ、其の證如何と問ひければ、懐中より紙に褁みたる文の躰なる物を取り出して、これこそ普廣院殿の御書よと之を云ふ、披見すれば紙の内に青き草一つあり、不思議の事なり、仍て御祈祷を始めらるべきの由沙汰有るの由、伊勢入道被官人之を称すと云々、先日上御所へ(観智院殿へ)普廣院殿御使とて参りける同人かと云々、

 

 「解釈」

 政所伊勢入道眞蓮貞国のもとへ、女房で十六、七歳であるものが現れ、庭で徘徊していた。老いも若きも恐れた。その後、「発狂した人か」とこの女房に尋ねた。その女房が言うには、「発狂しているのではない。私は普廣院殿足利義教様のお使いである」と言った。その証拠はどうだと尋ねたところ、懐の中から紙に包んだ手紙のようなものを取り出して、「これこそが足利義教様の御手紙よ」と言った。開いて見ると紙の中に青い草が一つあった。不思議なことである。そこで、ご祈祷をお始めになるべきと処置したということを、伊勢貞国の被官人が口にしていたそうだ。先日、足利義教本妻の裏松宗子のもとへ、義教様のお使いとして参上した人物と同一人物であるか、と言う。

 

 In the house of Ise Sadakuni, a woman aged 16 or 17 appeared and was walking around the garden. Both the old man and the young man feared her. Then a person asked her, "Are you crazy?" She says, "I am not mad. I am the messenger of the dead General Shogun Ashikari Yoshinori." When he asked if there was evidence, she took out a piece of paper from the pocket and said, "This was the letter of Ashikaga Yoshinori." As he opened and looked at the letter, there was green grass in the paper. It was strange. So Ise Sadakuni ordered to start praying. The other day, this woman may be the same person who came as a messenger of Yoshinori at the house of Uramatsu Muneko (wife of Ashikaga Yoshinori).

 

 

*またしても、足利義教関連のミステリアスな話です。今回は、頭のおかしな若い女が、庭をうろついているという話でした。たしかに、自邸の庭を見知らぬ女が徘徊していると怖いです。

 それにしても、明らかに怪しげな女に、「狂人か」と尋ねるところがおもしろいです。「何をやっているんだ」「お前は誰だ」と言った尋ね方ではないようです。

 それに対して、イカれた女は「狂ってない」と答えます。そして、信じられないことに、亡き将軍足利義教のお使いだ、と主張します。義教のお告げでもあったのか、はっきりしませんが、間違いなく不審者です。

 次に、証拠はあるのかと尋ねたところ、気の狂れた女はこれぞ証とばかりに、懐から手紙を差し出します。それを開いてみると、紙の中に「青い草が一つ」…。おぉ〜、さっぱり意味がわかりません。青い草一つに、何らかのメッセージが込められているのでしょうか。それとも、あの世にいる足利義教の状況を、何か象徴しているのでしょうか。その後、祈祷することが決定されているので、いずれにせよ、義教の魂はあまりよい状況にはないのでしょう。地獄に堕ちたのかもしれません。やはり、悪いことをしてはならないようです。

 

 Once again, it is a mysterious story related to Ashikaga Yoshinori. This time, it was a story that a crazy young woman was crawling in the garden. Certainly, it is quite uncomfortable to imagine a stranger walking around in my garden.

 Even so, it is interesting to ask an apparently suspicious woman, "Are you crazy?" In my case, I would ask, "What are you doing?" or "Who are you?"

On the other hand, the woman said "It is not crazy". And, unbelievably, she insisted that she was the messenger of the dead General Ashikaga Yoshinori. I'm not sure if that's true, but she's definitely a suspicious person.

 Next, when one person asked if there was evidence, the crazy woman took out the letter from the pocket, saying that this was evidence. When he opened it, there was one blue grass in the paper .... Oh, I don't understand the meaning. Was there any message in one blue grass? Or does it symbolize the situation of Ashikaga Yoshinori in afterlife? Since it is decided to pray after that, Yoshinori's soul will not be in a good situation anyway. He may have fallen into hell. After all, it seems that we should not do bad things.

 (I used Google Translate.)

洞雲寺文書42

   四二 毛利秀元書状

 

     (輝元)

   呉々、殿様御判物一通令拜見、則返進候、

 洞雲寺并末寺等之儀、代々任證文之旨、播書記へ可与逹之由、得

   毛利輝元)(穂田)

 意候、宰相様元清御帰朝之時、御判等申調可之置候、聊不

 違候、恐々謹言、

    (文禄元年)(1592)

     十二月十八日           秀元(花押)

 

 「書き下し文」

  (追而書)

   呉々も、殿様の御判物一通拜見せしめ、則返し進らせ候ふ、

 洞雲寺并に末寺等の儀、代々の證文の旨に任せ、播書記へ与奪有るべきの由、其の意

 を得候ふ、宰相様・元清御帰朝の時、御判等申し調へ之を進らせ置くべく候ふ、聊か

 も相違有るべからず候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 洞雲寺とその末寺などの件は、代々の証文の内容のとおりに、播書記へ譲与するつもりであるという考えを伺いました。宰相様毛利輝元・穂田元清が朝鮮出兵からご帰朝になった時に、安堵状を調え申し差し上げるはずです。あなた様のお考えに、少しも相違あるはずもありません。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「播書記」─洞雲寺住持、十一世天翁玄播のことか。

 

*充所は十世の梅菴賢達と考えられます。

洞雲寺文書41

   四一 洞雲寺賢逹寺領付立案

 

  (端書)

  「此目録者、元清ヨリ吉田之輝元へ被上候、爲向後之重書へ相添置也、」

     洞雲寺領之事

 雲室壽慶之位牌免

  一佐方清末之内五貫百目

 興藤之位牌免

  一宮内東光寺分四貫三百目

 松岩之位牌免

  一坪井之内薬師寺分五貫七百目

 順覚之位牌免

  一三宅之内元圓満寺分十貫百目

                       (賢逹)

    以上廿五貫貳百目也、          (花押)

     (就次)

   福原大和守殿

   伊佐孫右衛門尉殿 まいる

 

 「書き下し文」

   (端書)

   「此の目録は、元清より吉田の輝元へ上げられ候ふ、向後のための重書へ相添え

    置くなり、」

      洞雲寺領之事

 雲室壽慶の位牌免

  一つ、佐方清末の内五貫百目

 興藤の位牌免

  一つ、宮内東光寺分四貫三百目

 松岩の位牌免

  一つ、坪井の内薬師寺分五貫七百目

 順覚の位牌免

  一つ、三宅の内元圓満寺分十貫百目

                       (賢逹)

    以上廿五貫二百目なり、         (花押)

   福原大和守殿

   伊佐孫右衛門尉殿 まいる

 

 「解釈」

  (端書)「この目録は、穂田元清から吉田の毛利輝元へご進上になりました。今後

       のための手継文書に加え置くのである。」

  (以下略)

 

 「注釈」

「雲室壽慶」─未詳。

「位牌免」─供養のための免田か。

「佐方清末」─廿日市市佐方字清末にあった名か。

「興藤」─友田興藤。もと厳島神主。

「宮内」─現在の廿日市町宮内・串戸。野貝原山・折敷畑山・烏帽子山の山間から流れ

     出る御手洗川の流域に開けた村。南東は地御前村、北西は玖島村。三方を山

     や丘陵に囲まれ、東方のみ瀬戸内海に面して小平野が開ける。中世には厳島

     神社領宮内庄に属した。村内の藤掛尾は永正五年(一五〇八)に桜尾城に拠

     った友田興藤と厳島神主職の継承をめぐって争った小方加賀守の居城があっ

     た地。明石・折敷畑は天文二三年(一五五四)に毛利元就陶晴賢の軍と戦

     った古戦場である。村名は永禄一一年(一五六八)七月二六日の毛利元就

     輝元連署判物(「閥閲録」所収桂久右衛門家文書)に見え、当村四一町八反

     の地が毛利氏の重臣桂元澄の五男広繁に給地として与えられている。

「東光寺」─宮内村(廿日市町宮内)に小字として東光寺という名称が残っている

      (『広島県の地名』)。

「松岩」─未詳。

「坪井」─広島市五日市町坪井・観音台

薬師寺」─円満寺と同様に、佐方にあった中世の廃寺か。

「順覚」─未詳。

「三宅」─現在の五日市町三宅・観音台

「圓満寺」─廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)地域にあった中世の廃

      寺。現在も小字名として残る(『広島県の地名』)。

「賢逹」─洞雲寺住持、十世梅菴賢達。

「福原大和守殿就次」─未詳。穂田元清の被官か。

「伊佐孫右衛門尉殿」─未詳。穂田元清の被官か。

洞雲寺文書40

   四〇 穂田元清書状    ○東大影冩本ニヨル

 

         毛利元就

 態令啓上候、爲洞春様御意一寺建立仕度覚悟候、然間箕平本多田之内満願

 寺領田壹町小分錢四貫八百文目致寄進候、内々可御心得候、何

 連々可御意候、恐惶謹言、

      二月廿日            元清(花押)

     洞雲寺衣鉢閣下

 

 「書き下し文」

 態と啓上せしめ候ふ、洞春様に御意として一寺を建立したき覚悟に候ふ、然る間箕平

 本多田のうちの満願寺領田壹町小の分銭四貫八百文目を寄進致し候ふ、内々に御心得

 を成さるべく候ふ、何れも連々に御意を得べく候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 わざわざ申し上げます。亡き毛利元就様のために輝元様のお考えとして、一つのお寺を建立するつもりです。だから「箕平本多田」のうちにある満願寺領の田地一町小分の年貢銭四貫八百文を寄進致します。内々にご承知になってください。何れも、たえずあなた様のお考えを承るつもりでおります。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「箕平本多田」─未詳。読み方も意味もわかりません。地名でしょうか。

満願寺」─現在の吉田町吉田。郡山城三の丸跡の下方、難波谷の谷頭右方に広大な寺

      域を残す。由緒は不明であるが、毛利氏郡山築城の当初頃からあったとも

      いわれ、大永三年(一五二三)毛利元就の本家相続が決まり、郡山入城に

      際してその日時を満願寺の法印栄秀が卜している(『広島県の地名』)。

「衣鉢閣下」─未詳。