周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

圓立寺文書6

   六 富田康直書状(折紙)

 

     私も百疋御下まいり、御ねんころノたん、申もおろかに存候、いまほと御きふんともあし

     く御さ候や、爰元そうおうの御用御申下候、謹言、

 爲御年頭、態壹人被下、委敷遂披露候、遥々之儀ニ入被御祝着

 由、被仰出候、委細御父子様より御書を被成候間、不申入候、於趣者

 須市右より重疊可申得御意候、猶御使申入候、恐々謹言、

                   富又兵

      二月廿一日         康直(花押)

        る

      善明さま 申給候

 

 「書き下し文」

 御年頭として、態と一人下され、委しく披露を遂げ候ふ、遥々の儀に入り御祝着に成

 らるるの由、仰せ出だされ候ふ、委細御父子様より御書を成され候ふの間、申し入る

 るに能はず候ふ、趣に於いては須市右より重畳申し御意を得べく候ふ、猶ほ御使申し

 入れ候ふ、恐々謹言、

    私も百疋御下し参り、御懇ろの段、申すも疎かに存じ候ふ、今程御気分共悪し

    く御座候ふや、爰元相応の御用御申し下し候へ、謹言、

 

 「解釈」

 御年始の挨拶として、あなた様はわざわざお使い一人を下され、私は細かに毛利元就様・隆元様に披露を遂げました。遥々お使いを下されたことに感じ入り満足している、と仰っております。細かいことは元就様・隆元様が御書を発給されますので、これ以上は申し入れることもできません。お伝えする内容は、須市右から念入りに申し上げますので、あなた様のお考えを承るつもりでおります。さらに、お使いが申し入れます。以上、謹んで申し上げます。

    私へも百疋を下される手厚さに、申し上げる言葉もございません。今頃は御気分も悪くいらっしゃるのでしょうか。こちらに相応の御用を申しつけくださいませ。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「御父子様」─毛利元就毛利隆元か。

「須市右」─未詳。毛利の家臣のなかには、須子氏がいます(村井良介「芸備国衆家臣

      団一覧表」https://core.ac.uk/download/pdf/35266460.pdf)参照)。その

      一族か。須子市右衛門という名前でしょうか。

「富田康直」─未詳。

 

*日付と充所の間に「る」のような大きな文字があるのですが、さっぱり意味がわかりません。

圓立寺文書5

   五 繁澤元氏書状(切紙)

 

   以上

 爲今年之祝儀申越、殊百疋祝着存候、遠方被存寄之処本望候、尚重々

 可申、以上、恐々謹言、

      三月十日          元氏(花押)

       善明 進之候

 

 「書き下し文」

   以上

 今年の祝儀として申し越さる、殊に百疋祝着に存じ候ふ、遠方より存じ寄せられるる

 の処本望に候ふ、尚ほ重ね重ね申すべし、以上、恐々謹言、

 

 「解釈」

   以上

 今年のお祝いとして送ってくださった百疋は、とくに満足しております。遠方から思いを寄せてくださったことは本望です。なお、くれぐれもお礼を申し上げます。以上、謹んで申し上げます。

圓立寺文書4

   四 繁澤元氏書状(切紙)

 

 今年之爲祝儀、一束差越祝着候、謹言、

      二月六日          元氏(花押)

       善明

 

 「書き下し文」

 今年の祝儀として、一束差し越すこと祝着に候ふ、謹言、

 

 「解釈」

 今年のお祝いとして、紙一束を送っていただいたことに満足しております。以上、謹んで申し上げます。

圓立寺文書3

   三 繁澤元氏書状

 

       (安藝山縣郡)

 其方只今罷居候朝枝之屋敷之儀、先年以来筋目之地之由候条、無異儀

 遣置候、随分普請等取刷、心安可罷居事肝要候、爲其申聞候、謹言、

      九月廿一日         元氏(花押)

 (捻封ウハ書)   (明)

  「     善⬜︎ 

                    元氏」

       ○以上、三通ヲ一巻ニ収ム

 

 「書き下し文」

 其方只今罷り居り候ふ朝枝の屋敷の儀、先年以来筋目の地の由に候ふ条、異儀無く遣

 はし置くべく候ふ、随分普請等取り刷り、心安く罷り居るべき事肝要に候ふ、其の為

 申し聞こえ候ふ、謹言、

 

 「解釈」

 あなたがただいま住んでおります朝枝の屋敷の件については、先年以来あなたにとって由緒のある地ですので、異論なくあなたに遣わし置くはずです。できるだけ普請等を執り行い、安心して住むべきことが肝要です。そのため申し上げます。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「朝枝」─広島県山県郡北広島町大朝朝枝。

「取刷」─未詳。

「繁沢元氏」─吉川元春次男

圓立寺文書2

  二 安藝國山縣郡大朝村之内打渡坪付

 

 藝州山縣郡大朝村之内打渡坪付之事

        (繁澤元氏)

     合   (花押)

 野田

  畠貳段半       代四百文    五郎右衛門尉

 國近畠三段六百之内    粟屋藤兵衛先給

  畠貳段        代四百文    自作

                    横路

  畠壹段        代貳百文    孫兵衛

        五段半

   以上畠數

        代壹貫文

      慶長参          (繁澤)

       十月廿八日        次郎兵衛尉(花押)

                   山縣

                    五郎兵衛尉

                   井上

                    肥 前 守(花押)

            西泉坊 参

 

*慶長三年は一五九八年。書き下し文・解釈は省略しました。

 

 「注釈」

「大朝村」─広島県山県郡北広島町大朝。

「繁沢元氏」─吉川元春次男

「五郎右衛門尉」─未詳。市川五郎右衛門尉か(村井良介「芸備国衆家臣団一覧

         表」https://core.ac.uk/download/pdf/35266460.pdf)参照)。

「横道孫兵衞」─未詳。横道藤兵衛尉春重の一族か(村井良介「芸備国衆家臣団一覧

        表」https://core.ac.uk/download/pdf/35266460.pdf)参照)。

「山県五郎兵衛尉」─未詳。

「井上肥前守」─未詳。