周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

三原城城壁文書25・26(完)

    二五 毛利輝元書状(折紙)

 

    ]得其心候、□衆境目罷出、然者従安国寺被打入之由被申候由委細従林右

 所可申候、恐々謹言、

                  右馬頭

        ]月十二日      輝元(花押)

 

 「書き下し文」

    ]其の心を得候ふ、□衆境目に罷り出づ、然れば安国寺より打ち入らるるの由申され候ふ由委細林右より申すべき所に候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

    ]そちらのお考えはわかりました。□衆が境目に出向いた。そこで、安国寺恵瓊から攻め込みなさるように申し上げなさいましたことを、使者である林右から詳しく申し上げるはずです。以上、謹んで申し上げます。

 

 

*書き下しも解釈も、まったくできませんでした。

 

 

 

    二六 某書状(折紙)

 

   ]といつとなく[ ]候、一人を遣[ ]計候、養生之[ ]折々被

 加 御意[ ]ハと存候、此等之趣可預御披露候、謹言、

                  次郎衛□

        ]月三日       [ ](花押)

 

 

*書き下しも解釈も、まったくできませんでした。

三原城城壁文書23・24

   二三 毛利輝元自筆書状(折紙)(断簡)

 

               (召候)

  神辺番□之儀、とかく□肝心被思□□由尤存候、一の儀かい□候、殊外

  ぬ□ゝゝ仕也、□勝り存[ ]そく不存[

 一元春ハ[  ]五日し[   ]御方[     ]被急[     ]つね[

 (後闕)

 

*書き下しも解釈も、まったくできませんでした。

 

 

 

    二四 鵜飼元辰書状

 

    ]残にて罷居候、少かまい申事成不申候、被成其御分別候て可被下

 候、恐惶謹言、

                  鵜新

       十一月廿六日      元辰(花押)

 

 「書き下し文」

 〜?〜残りにて罷り居り候ふ、少しも物にかまい申す事成り申さず候ふ、其の御分別を成され候ひて下さるべく候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 〜?〜残りとしております。少しも物に構い申すことは致しません。そのご分別をなさいましてお与えになるのがよいです。以上、謹んで申し上げます。

 

*書き下しも解釈も、まったくできませんでした。

三原城城壁文書21・22

    二一 桂経五書状

 

 (前闕)

 「

                       御引合共あるへき事ニ候也

 之由申候、左様被仰付て可然事候する哉、但能々可被聞召合、重可被成御定事

 可然候する哉、於某元被尋聞傍御様可入事ニ候也子て、委細可被仰上之由可申

 之旨候、

               井五兵

                 桂経五

       山十右

       山九右   山十右

             南平右

             須五左

             有 十

             山九

 

 「書き下し文」

 〜?〜の由申し候ふ、左様に仰せ付けられて然るべき事に候はんずるか、但し能々聞こし召し合わせらるべし、重ねて御定を成さるべき事然かるべく候はするか、某の元に於いて尋ね聞かれ傍の御様子にて入るべきことに候ふなり、委細仰せ上げらるべきの由申すべきの旨に候ふ、

  〜御引合どもあるべき事に候ふなり、

 

 「解釈」

 〜?〜と申し上げます。そのようにご命令になって当然のことでしょう。ただしよくよくお問合せになってください。重ねてご決定になるべきことが適切でしょう。こちらでお尋ねになりおそばでのご様子を申し入れるべきです。詳細は申し上げなさるべきだと申し上げる考えです。

  〜お引き合わせするはずでございます。

 

*書き下し文・解釈ともに、よくわかりませんでした。

 

 

 

    二二 成紀伊親宣奉書

 

 (前闕)

 「

 □笠岡差出候、弥御両所被仰次第、其気遣可仕候、此由[

 所仰候、恐々謹言、

                紀伊

       □月四日      親宣(花押)

 (後闕)

 

 「書き下し文」

 〜?〜笠岡に差し出で候ふ、いよいよ御両所仰せらるる次第、其れ気遣ひ仕るべく候ふ、此の由〜?〜仰する所に候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 〜?〜笠岡に姿を現します。ますます御両所がおっしゃる事情については、そちらも気遣いを致さねばなりません。この件〜?〜との仰せです。以上、謹んで申し上げます。

 

*書き下し文・解釈ともに、よくわかりませんでした。

三原城城壁文書19・20

    一九 鍋島信生書状(折紙)(断簡)

 

 御下向つき早々罷出、可得貴意候処、御公用付而御普請不致[

 上候、恐惶謹言、

                鍋嶋加賀守

       九月三日       信生(花押)

 (後闕)

 

 「書き下し文」

 御下向つき早々に罷り出で、貴意を得べく候ふ処、御公用付けて御普請致さず〜?〜上げ候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 あなた様のご下向に応じて私も早々に出向き、あなた様にお目にかかりとうございますが、公務で普請を〜?〜ます。以上、謹んで申し上げます。

 

*書き下し文・解釈ともに、よくわかりませんでした。

 

 

 

    二〇 毛利輝元書状(折紙)(断簡)

 (前闕)

 「

  (文ヵ)

 神□安国寺可談候、又人質之組之事ハ[

 貞俊相談候ハて不成儀候、彼被[

 (後闕)

 

 「書き下し文」

 神文安国寺に談ずべく候ふ、また人質の組の事は〜?〜貞俊相談し候はで成らざる儀に候ふ、彼〜?

 

 「解釈」

 起請文の件は安国寺と相談するのがよいです。また人質の一団のことは〜?〜福原貞俊と相談しないでは成立しない案件です。彼〜?

 

*書き下し文・解釈ともに、よくわかりませんでした。

声はすれども姿は見えず

  長禄二年(1458)十二月一日条

        (『経覚私要鈔』4─106頁)

 

  朔日、乙卯、霽、寒風超過者也、(中略)

 一去廿七日玉手大宿所有酒宴、五更時分事終了、其刻五十人計声ニテ切入、

  多分醉臥之間、少々起合処無殊事之間、成不思儀〔議〕思、神慮難量之由

  申合刻、又切入者在之間、面々大刀等抜相向之処、一切無人、玉手代官一人

  〔緞〕

  曇子小袖二所マテ切通ト云トモ不身当、希代事欤、如何様神慮有子細欤之由

  申云々、事実者不思儀次第也、(後略)

 

 「書き下し文」

  朔日、乙卯、霽る、寒風超過する者なり、(中略)

 一つ、去んぬる二十七日玉手大宿所に酒宴有り、五更の時分事終了す、其の刻五十人ばかりの声にて切り入る、多分醉臥するの間、少々起き合ふ処殊なる事無きの間、不思議の思ひを成す、神慮量り難きの由申し合ふ刻、又切り入る者之在る間、面々大刀等を抜き相向かふの処、一切人無す、玉手の代官一人緞子の小袖二所まで切り通すと云へども身に当たらず、希代の事か、如何様にも神慮に子細有るやの由申すと云々、事実ならば不思議の次第なり、

 

 「解釈」

  一日、乙卯、晴れ。寒風は度を越している。(中略)

 一つ、去る十一月二十七日玉手某が大宿所で酒宴を催した。翌日の早朝に宴は終わった。そのとき五十人ほどの斬り込んでくる声が聞こえた。参加者の多くが酔っ払って横になっていたのだが、少しばかりの人々は起きていた。だが、変わったことはなかったので、説明のできない不思議なことだと思った。神のお考えは理解しがたいと話し合っていたところ、また斬り込む者の声がしたので、各々大刀等を抜いて立ち向かったところ、まったく人はいなかった。玉手の代官一人だけ、絹織物の小袖が二箇所まで切られていたのだが、体には当たっていなかった。不思議なことであるよ。おそらく、神のお考えにも何か事情があるのだろうと申したという。事実であれば、人知の及ばないことである。

 

 On November 27th, Mr. Tamate held a drinking party at Ohshukusho. The party ended early the next morning. At that time, he heard the voices of about 50 people cutting into this place. Many of the participants were drunk and asleep, but a few people were awake. But they thought it was strange because nothing had changed. As he was chatting about how difficult it was to understand God's thoughts, he heard the voice of some people cutting into this place again, so everyone grabbed swords and confronted them, but no one was there at all. But only Mr. Tamate's magistrates' kimono was cut in two places, but his body was unharmed. That's strange. Perhaps God had something in mind, they chatted. If it is true, it is beyond human knowledge.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「玉手」

 ─春日若宮祭願主玉手某。国民(春日社神人)である越智氏の一族。奈良県御所市大字玉手小字城山の玉手山城が居城だった(「玉手山城跡」『奈良県の地名』平凡社)。

 

 

【考察】

 「声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような…」というフレーズが、講談や落語の演目にみられるそうです。オナラのような人畜無害?の事件であればよかったのですが、今回紹介する怪奇現象はちょっとばかり物騒な出来事でした。

 年末も押し迫った十二月二十七日のこと。春日若宮祭の願主役である玉手某は、彼らが参籠する大宿所で酒宴を開いていました。

 さて、宴も終わりに近づいて、多くの参加者が酔っ払って眠っていたところ、五十人ほどの者どもの斬り込んでくる声がしたのです。ただ、それ以外におかしな出来事は起きなかったので、起きていた参加者たちは不思議だなあと思っていました。ところが、再び斬り込んでくる声がしたので、今度は刀を抜いて立ち向かっていったそうです。しかし、そこに人は誰もいない…。

 話はこれで終わりません。なんと玉手某の代官の小袖が切りつけられていたのです。幸いにも傷を負ったたわけではないのでよかったのですが、姿の見えない何者かに襲われるとは恐ろしい話です。この現象から、神はどんなメッセージを伝えようとしたのでしょうか。

 そういえば、怪奇現象が頻繁に発生する将軍御所でも、姿の見えない物の怪が出現していました。情報によると、そいつは女の声を発し帯を売っていたそうですが(「姿の見えない帯商人とデカい女」参照)、この現象にも何かメッセージが込められていたのかもしれません。なぜ物売りの声だったのか。なぜ帯だったのか。帯売りの女商人に対してやましい出来事でもあったのか。はたまた帯や商売は、何か他のものを暗示する表象だったのか。妄想は膨らむ一方です。