一三 陶晴賢加冠状
加冠 賢次
(1553)
天文廿二年三月七日 晴賢(花押)
(景頼)
能美四郎殿
「注釈」
「加冠状」─武士が元服して実名を名乗る場合、将軍、大名などから名乗りの一字を与
えられる際の文書(『日本国語大辞典』)。
*書き下し文、解釈は省略。
*能美四郎景頼が、陶晴賢から「賢」の字をもらって、「賢次」と名乗ったものと考
えられます。
一二 大内義隆安堵状
(義隆)
(花押)
(仲次) (大内義興)
父秀依一跡事、任二去明応九年十一月十五日凌雲寺殿證判、天文十七年八月二日
譲与状之旨一、能美弥三郎景頼可二相続一之状如レ件、
(1550)
天文十九年十一月廿九日
「書き下し文」
父秀依一跡の事、去んぬる明応九年十一月十五日凌雲寺殿の證判、天文十七年八月二
日譲状の旨に任せ、能美弥三郎景頼相続すべきの状件のごとし、
「解釈」
父秀依の跡目のこと。去る明応九年(一五〇〇)十一月十五日付大内義興様の安堵状と、天文十七年(一五四八)八月二日付の譲状の内容のとおりに、能美弥三郎景頼に相続するべきである。
「注釈」
「秀依」─七代仲次(秀依)。
「能美弥三郎景頼」─八代景頼(世次)。
*凌雲寺殿證判と譲状は残存していません。
(越智郡) (冷泉)
去月十五日、於二豫州中途表一動之時、郎従澁屋小次郎被二矢疵一右肱之由、隆豊注
進到来遂二披露一畢、尤神妙之由、所レ被二 仰出一也、仍執達如レ件、
(1546) (青景隆著)
天文十五年九月十三日 右京進(花押)
(杉宗長)
沙 弥(花押)
(陶隆房)
尾張守(花押)
(仲次ヵ)
能美四郎殿
「書き下し文」
去月十五日豫州中途表に於いて動くの時、郎従渋屋小次郎矢疵「右肱」を被るの由、隆豊の注進到来し披露を遂げ畢んぬ、尤も神妙の由、仰せ出ださるる所なり、仍て執達件のごとし、
「解釈」
去る八月十五日伊予国越智郡中途島沖で河野軍と戦ったとき、能美氏の被官渋屋小次郎が矢傷を右肘に受けたという、冷泉隆豊の注進が到来し、大内義隆様に披露した。いかにも感心なことである、と義隆様は仰せであった。そこで、以上の内容を下達する。
「注釈」
「豫州中途表」─愛媛県今治市吉海町椋名の中渡島。能島村上氏の有力な海賊城。この
史料は『愛媛県の地名』(「中渡城跡」)で引用されています。
「渋屋小十郎」─能美仲次の被官か。
十 大内氏奉行人書状(切紙)
去五月十八日、至二豊後国薄野浦奥郷一動之時、別而有二御馳走一被レ致レ疵之段、
則達二上聞一候之處、如レ此被三成二遣 御感状一候、御面目之至尤以珍重候、弥御
忠節可レ爲二専一一候旨候、恐々謹言、
天文三年(1534)
六月廿日 興實(花押)
(仲次)
能美縫殿允殿
「書き下し文」
去んぬる五月十八日、豊後国薄野浦奥郷に至り動くの時、別して御馳走有りて傷を致
さるるの段、則ち上聞に達し候ふの處、此くのごとく御感状を成し遣わされ候ふ、御
面目の至り尤も以て珍重に候ふ、弥御忠節専一たるべく候ふ旨に候ふ、恐々謹言、
「解釈」
去る五月十八日に、豊後国薄野浦奥郷に行き、大友軍と戦った時、格別に奔走して傷を被りなさったことは、すぐに大内義隆様のお耳に入りましたので、このように御感状をお遣わしになりました。この上ない名誉で、いかにもめでたいことでございます。ますますご忠節を遂げられることが第一であるということです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「薄野浦奥郷」─現大分県西国東郡真玉町臼野。『大分県の地名』(「臼野庄」)に、
この史料が引用されています。
「興實」─右田興実。玄蕃助・下野守。薄野浦攻撃の軍事指揮官。周防右田氏は、周防
国佐波郡右田保(現防府市)を本貫地とする大内氏の一族。有力庶家の一つ
として宗家を支えたが、弘治三年(一五五七)毛利氏の防長侵攻に際し、大
内氏を見限って毛利氏に味方した。
(和田秀作「周防右田氏の相伝文書について」『山口県文書館研究紀要』
四一、二〇一四・三、
http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/kiyou/041/kiyou41-04.pdf)。
「能美縫殿允殿」─七代仲次(秀依)。
九 大内義興下文
(義興)
(花押)
下 能美縫殿允仲次
可レ令二早領知一安藝國能美嶋中村内拾六石地(割書)「能美左近将監先知行」
事
右、今度藝州忩劇、㝡前以来別而奔走神妙之条、爲二勧賞一所二充行一也者、早守二
(節)
先例一全二領知一、弥可レ勵二忠切一之状如レ件、
(1525)
大永五年六月十三日
「書き下し文」
下す 能美縫殿允仲次
早く領知せしむべき安藝国能美嶋中村中村の内拾六石の地(割書)「能美左近将
監先に知行」事、
右、今度藝州の忩劇、最前以来別して奔走神妙の条、勧賞のため充て行う所なり、て
へれば早く先例を守り領知を全うし、弥忠節を励むべきの状件のごとし、
「解釈」
下す 能美縫殿允仲次
早く領有するべき安芸国能美島中村内十六石の地(割書)「能美左近将監が先に
領有していた」のこと。
右、今度の安芸国の争いごとで、当初より格別に奔走したことは感心なことであるので、その功労を賞して給与するところである。というわけで、早く先例のとおり知行を全うし、ますます忠節を尽くすべきである。
「注釈」
「能美縫殿允仲次」─七代仲次(秀依)。