一四 詮武名田充文
宛行 久嶋内久清名之事
合壹[
(マ丶)
右彼名田者、代々下知状於所持候上、於帯二[ ]之譲状一候之間、支證分明者也、
仍長原之近江房仁申付候者也、就レ其社役年貢公事等、任二先例一可レ致二其沙汰一
状如レ件、
(1418)
應廿五年十一月廿一日 詮武(花押)
園次郎殿
「書き下し文」
充て行ふ 久嶋内久清名の事
合壹[
右彼の名田は、代々の下知状を所持し候ふ上、[ ]の譲状を帯び候ふの間、支證分明なる者なり、仍て長原の近江房に申し付け候ふ者なり、其れに就き社役・年貢・公事等、先例に任せ其の沙汰致すべき状件のごとし、
「解釈」
給与する 久嶋郷内の久清名のこと。
(中略)
右のこの名田については、私(詮武)は代々の下知状を所持しているうえに、?の譲状も所持しているので、証拠は明らかである。そこで、長原の近江房に名田を与えるものです。それについて、名田に賦課されている社役・年貢・公事などは、先例どおりに勤めなければならない。充文の内容は以上のとおりである。
「注釈」
「詮武」─未詳。久清名の名主(刀禰)か。
「近江房」─未詳。
「園次郎」─未詳。
*「詮武」が久清名の名田を「近江房」に与えた文書だと考えます。ただし、どういう
経緯で、どういった関係によって、「詮武」から「近江房」に与えられたのかはよく
わかりません。また、名田を与えられた「近江房」ではない「園次郎」が、なぜ充所
になっているのか、よくわかりません。