周梨槃特のブログ

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小田文書31

   三一 見阿訴状

 (端裏書)

 「久嶋十郎入道訴状注進候事」

 沙弥見阿謹言上

  欲早任訴陳旨御成敗、國重名内無山代入道与見阿沙汰番京都経

  間、刀禰令押領条無其謂子細事、

 件条於國重名少分、安清・国貞・爲弘三名之餘佃取集ニ、先給主弥大郎

 入道類并十余人百姓号同心一名作立、爲御年貢偏國重名作立處、山代入道以

              (折ヵ)

 非儀沙汰京都其間析讀ニテ、刀禰見阿分令押領条存外次第也、雖

                     (時脱ヵ)

 爲山代入道無道故、故六条之入道御料之御被苛責了、其後復故周防之前司御

 料御時致復沙汰處、山代入道被苛責分、見阿◻︎御下知蒙國重名内田地ニ刀禰

 此十余年令押領存外次第也、國重名職者過四十余年者也、以全御年貢御公

 事無懈怠者也、而一阿殿代左近時之◻︎致沙汰刻、新田も御検見之時取

             (ヵ)

 論坪付条明文也、而古上歎御時ニ、爲御堂之免所上者不沙汰處、自

 佐方殿惣々有其躰、蒙仰間御年貢可備進之間御代馬入道殿歎申處、見阿

 爲道理事郷内之百姓等被承条顕然也、乍有サハ佐方殿御下之時、可御成

 敗所也、蒙然者如元刀禰押領分國重可付置之御成敗爲直、仍

 粗恐々言上如件、

     (1315)

     正和四年  十二月 日

 

 「書き下し文」

 「久嶋十郎入道訴状注進し候ふ事」

 沙弥見阿謹んで言上す

  早く訴陳の旨に任せ御成敗を蒙らんと欲する、國重名内山代入道と見阿と沙汰し番ふる無く、京都を経る間、刀禰押領せしむるの条其の謂れ無き子細の事、

 件の条國重名に於いて少分たるにより、安清・国貞・爲弘三名之餘佃取り集むるに、先の給主弥大郎入道の類并びに十余人の百姓同心と号して、一名を作り立つ。御年貢のため偏に國重名を作り立つる處、山代入道非儀を以て沙汰を出し、京都を経る其の間折読にて、刀禰見阿分押領せしむる条存外の次第なり、山代入道無道の故たりと雖も、故六条の入道御料の御時苛責せられ了んぬ、其の後復た故周防の前司御料の御時復た沙汰致す處、山代入道苛責せらるる分、見阿◻︎御下知を蒙り國重名内の田地に刀禰此の十余年押領せしむること存外の次第なり、國重名職は四十余年を過ぐる者なり、全く以て御年貢・御公事懈怠無き者なり、而るに一阿殿代左近の時の◻︎沙汰致す刻、新田も御検見の時帖を取り坪付を論ずるの条明文なり、而るに古上歎御時に、御堂の免所と為す上は沙汰致さざるの處、見阿道理たる事郷内の百姓ら承らるるの条顕然なり、「乍有サハ」佐方殿御下りの時、御成敗を蒙るべき所なり、然かるべき仰せを蒙らば元のごとく刀禰押領分を國重に付け置かるべきの御成敗直たり、仍て粗々恐々言上件のごとし、

 

 「解釈」

 沙弥見阿が謹んで言上します。

  國重名内の山代入道と見阿とが訴陳状を交換することなく、京都での裁判を経てい

  るうちに、刀禰が押領したことは何の理由もないという事情のことについて、早く

  訴陳状の内容のとおりに、御裁許をいただきたい。

 この件は、國重名の名田が少ないことによって、安清・国貞・爲弘の三名の余った佃を取り集め、かつての給主弥大郎入道の一族ならびに十余人の百姓らが同心したと主張して、一名を作り立てた。御年貢のためにひたすら國重名を作り立てたところ、山代入道が非法によって訴訟を起こし、京都に訴え出た。その間に「折読」によって、刀禰が見阿(私)の所領を押領したことは思いもよらないことである。これは山代入道の非道が原因であるけれども、亡くなった六条の入道の所領であったとき、山代入道の所領は押領された。その後亡くなった周防の前司の所領であったときに、また山代入道は押領され、見阿に下知状を下され、その所領をいただいた。それなのに、國重名内の田地を刀禰がこの十余年押領したことは思いもよらないことである。私は國重名の名主職を所持して四十余年を過ぎているのである。御年貢や御公事の弁済を怠ったことはないのである。そして、一阿殿の代官左近の時の検見で、新田も坪付注文に記載したことは明らかである。しかし、「古上歎」の時に、御堂の免所となり、年貢・公事を免除され、納入しなかったことは、見阿に道理があると、郷内の百姓らが承知していたことは明らかである。佐方殿がこちらにお下りのとき、御裁許をいただくはずであった。適切なご命令をいただくなら、もとのように刀禰が押領した所領を國重名に統合するべきである。これが正しい御裁許である。よって訴えの概略を申し上げます。

 

 「注釈」

*一応、書き下し文と現代語訳は書きましたが、難解すぎて相論の詳細がさっぱりわか

 りません。もともと山代入道と見阿とが相論していた所領を、刀禰が後から押領した

 ように読めます。なお、池論文でこの文書は検討されていますので、詳しくはそちら

 を参照してください。

 (池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」『大名領国制の研

 究』校倉書房、一九九五、

 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661