(越智郡) (冷泉)
去月十五日、於二豫州中途表一動之時、郎従澁屋小次郎被二矢疵一右肱之由、隆豊注
進到来遂二披露一畢、尤神妙之由、所レ被二 仰出一也、仍執達如レ件、
(1546) (青景隆著)
天文十五年九月十三日 右京進(花押)
(杉宗長)
沙 弥(花押)
(陶隆房)
尾張守(花押)
(仲次ヵ)
能美四郎殿
「書き下し文」
去月十五日豫州中途表に於いて動くの時、郎従渋屋小次郎矢疵「右肱」を被るの由、隆豊の注進到来し披露を遂げ畢んぬ、尤も神妙の由、仰せ出ださるる所なり、仍て執達件のごとし、
「解釈」
去る八月十五日伊予国越智郡中途島沖で河野軍と戦ったとき、能美氏の被官渋屋小次郎が矢傷を右肘に受けたという、冷泉隆豊の注進が到来し、大内義隆様に披露した。いかにも感心なことである、と義隆様は仰せであった。そこで、以上の内容を下達する。
「注釈」
「豫州中途表」─愛媛県今治市吉海町椋名の中渡島。能島村上氏の有力な海賊城。この
史料は『愛媛県の地名』(「中渡城跡」)で引用されています。
「渋屋小十郎」─能美仲次の被官か。