周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

井上文書 その4

   一 五行祭文 その4

 

       (法華)   (諸法)            (法)(説)

 さうしてこのほつけニハしよほう十さうゆいう一しやうのほうときヲ、十如十さうに

 (善悪)

 せんあくふ二しやしやう一如おとき、あるいハこんし三かいかいせかう、五ちうしゆ

    (七)

 しやうしつせ五し二こんししよたしよけんなんゆいか、一人のういくこなりとうんう

           (界) 衆生   (皆)(我子)       (眷属ヵ)

 ん、このもんの心ハ三かいのしゆしやうハミなわかこなり、もろゝゝのけん[ ]も

           (救) (守)       (上)(衆生      (佛體)

 たゝわれ一人のミよくすくいまふり給ふ也、そのうへしゆしやうハもとよりふつたい

  (具足)   (頭)         (表)   (足)(方)   (地形)

 おくそくせり、かうへのまるなるハ天ヲひやうし、あしのはうなるハちきやうおひや

     (體) (阿修羅)(寶生)(彌陀)(釋迦)          (眼)

 うす、五たいハあしゆらほうしやうミたしやか大日の五仏なり、二のまなこハ日月の

 (両輪)          (穴)  (曜)

 りやうりんなり、かうへの七けつハ七ようおひやうす、九けつハ九ようおひやうす、

  (両)  (手)   (節)              (宿)(千手)

 又りやうのてニ廿八のふしあり、これハすなわち天の廿八しゆくせんしゆの廿八

 (部衆)  (法華)   (品)                 (以)

 ふしゆ、又ほつけの廿八ほんおひやうするなり、すなわちこのミおもんて、あるいハ

   (印) (結)      (經巻)   (取)     (呪具) (持)

 てにいんおむすひ、あるいハきやうくわんおとり、あるいハしゆくおもち、

 (口) (經趣)   (誦)  (心)  (観念)  (致)  (慈悲心)

 くちニきやうしゆおしゆし、こゝろニくわんねんおいたし、しひしんおゝこせハ三神

     (相應)   (卽身成佛)    (疑)

 すなわちさうわうしてそくしんしやうふつうたかいなし、

   つづく

 

 

 「書き下し文」(必要に応じて、ひらがなを漢字に改めています)

 惣じて此の法華には諸法実相ゆいう一乗の法を説き、十如実相に善悪不二生死一如を

 説き、或いは今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処・多諸患難・唯我

 一人・能為救護なりと云々、此の文の心は三界の衆生は皆我が子なり、諸々の眷属も

 唯我一人のみよく救い守り給ふなり、其の上衆生は元より仏体を具足せり、頭の丸な

 るは天を表し、足の方なるは地形を表す、五体は阿修羅・宝生・弥陀・釈迦・大日の

 五仏なり、二の眼は日月の両輪なり、頭の七穴は七曜を表す、九穴は九曜を表す、又

 両の手に二十八の節あり、此れは則ち天の二十八宿・千手の二十八部衆、又法華の二

 十八品を表するなり、則ち此の身を以て、或いは手に印を結び、或いは経巻を取り、

 或いは呪具を持ち、口に経趣を誦し、心に観念を致し、慈悲心を起こせば三身則ち相

 応して即身成仏疑い無し、

   つづく

 

 「解釈」

 だいたいこの法華経には、諸法実相、一乗の法を説き、十如実相に善悪不二・生死一如を説き、あるいは今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処・多諸患難・唯我一人・能為救護であるという。この法華経譬喩品第三の文の内容は、「欲界・色界・無色界の三界の衆生は、みな私の子である。様々な眷属たちも、ただ私一人だけがよく救い守りなさるのである。その上、衆生はもともと仏身を備えている。頭が丸いのは天を表し、足が方形であるのは大地を表す。五体は、阿修羅・宝生如来阿弥陀如来・釈迦如来大日如来の五仏である。二つの眼は日月の両輪である。頭の七穴は七曜を表す。九穴は九曜を表す。また両方の手に二十八の節がある。これはつまり天の二十八宿・千手の二十八部衆、また法華経の二十八品を表すのである。つまり、この体をもって、あるいは手に印を結び、あるいは経巻を手に取り、あるいは呪具を持ち、口に経を唱え、心に仏の姿を思い描き、慈悲心を起こせば、三身は和合して即身成仏は疑いない。

   つづく

 

 「注釈」

「諸法実相」─仏語。この世に存在するあらゆる事物のありのまま真実の姿。ただし解

       釈は一様ではなく、般若波羅蜜とするもの、言語や思考を越えた絶対否

       定の理とするもの、あるいは空・有を越えた絶対肯定の中道の理とする

       ものなどがある(『日本国語大辞典』)。

「一乗」─①世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え。法華一乗、華厳一

     乗、本願一乗などとして用いられる。→一乗の法(仏語。一乗真実の意で、

     主として法華経を指す)。②一番優れた教えの意(『日本国語大辞典』)。

「十如実相」─「実相」は仏語。一切のもののありのままの真実のすがた。生滅・無常

       を離れた、万物の真相。森羅万象、あらゆる現象の仮のすがたの奥にあ

       る真実の相。真如。本体。一如(『日本国語大辞典』)。

「善悪不二」─仏語。善も悪も二つのものではなく、仏法の平常無差別の一理に帰着す

       るということ。悟った立場からみると、善悪の区別はなく、ひとしく真

       如のあらわれであるということ(『日本国語大辞典』)。

「三界」─仏語。一切の衆生の生死輪廻する三種の迷いの世界。すなわち、欲界・色

     界・無色界をいう(『日本国語大辞典』)。

「眷属」─①血のつながっているもの。親族。一粟。うから。やから。②従者。家来。

     配下の者。家の子郎等。③仏語。親類、師弟の関係にあって互いに相随順す

     る出家、在家の者。狭くは仏の親族、広くは仏の教えを受ける者すべてをい

     う(『日本国語大辞典』)。ここでは③の意味か。

「五体」─身体の五つの部分。筋、脈、肉、骨、毛皮の称。一説に、頭、頸、胸、手、

     足、または頭と両手、両足。転じて、からだ全体。全身(『日本国語大辞

     典』)。

「五仏」─真言密教の両部曼荼羅法身大日如来と、如来から生じた、これをとりまく

     四仏。金剛界胎蔵界の五仏があるが、実は同体とする。金剛界では、大日

     (中央)・阿閦(東)・宝生(南)・阿彌陀(西)・不空成就(北)をい

     い、胎蔵界では大日(中央)・宝幢(東)・開敷華王(かいふげおう=

     南)・阿彌陀(西)・天鼓雷音(北)をいう(『日本国語大辞典』)。ここ

     での五仏の並びを見ると、金剛界五仏に似ています。不空成就如来と釈迦如

     来は同体と考えられている(「釈迦如来」真鍋俊照編『日本仏像事典』吉川

     弘文館)ので、阿修羅と阿閦如来を同体と見なす考え方があったのか、ある

     いは阿修羅と阿閦を書き間違えたのかもしれません。

「七穴」─人間の顔にある七つの穴。左右の耳、左右の目、左右の鼻孔、口をいう

     (『日本国語大辞典』)。

「七曜」─古代中国の天文学で、歳星(木)・熒惑星(火)・鎮星(土)・太白星

     (金)・辰星(水)の五星に、日・月を加えていう語(『日本国語大辞

     典』)。

「九穴」─九竅(きゅうきょう)に同じ。人間、哺乳動物の体にある九つの穴。両眼、

     両耳、二つの鼻孔、口、前後の陰部の総称(『日本国語大辞典』)。

「九曜」─日・月・火・水・木・金・土の七曜星に、羅睺星と計都星を加えたもの。本

     来は、インドの天文学で九惑星として数えあげた名称で、日本には密教の星

     辰信仰を介して知られるようになり、陰陽家が、人の生年月などに配当して

     運命を占った(『日本国語大辞典』)。

二十八宿」─月・太陽・春分点冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二

       八個定め、これを宿と呼んだもの(『日本国語大辞典』)。

二十八部衆」─千手観音の眷属で、真言陀羅尼の誦持者を守護する二十八人の善神の

        総称(『日本国語大辞典』)。

「即身成仏」─仏語。人間が現世で受けた肉体のままで仏になること。真言密教の教義

       で、三密加持して、衆生が仏と一体になり、衆生の本来有している仏の

       法身を証して成仏することをいう。即身菩提(『日本国語大辞典』)。