周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

仏通寺文書1

解題 沼田高山城主小早川春平は応永四年(1397)、彼が欽仰する禅僧の愚中周及を迎え「佳き山水」の地である現在の土地にこの寺を開創した。この寺は愚中が入唐に際し師事した仏通禅師にちなんで、仏通寺と名付けられた。その後、小早川氏一門の信仰に支…

大悪年の四十八堂阿弥陀参り

文明十一年(1479)十一月十五日条 (『大乗院寺社雑事記』6─513頁) 十五日 一近日奈良中四十八堂ノ阿ミタ仏ニ参詣スル事在之、当年大悪年也、此参詣ニ除 諸難云々、今日上下者共令参詣之由聞之、 「書き下し文」 一つ、近日奈良中四十八堂の阿弥陀…

米山寺文書9(完)

九 小早川泰雲隆景寄進往生講式装束目録写 往生講式粧束 (運慶) (作) 一仏面 八枚 但うんけひのさく 一飛行 六ツ 〈但縫はく」悉皆御内様并御局施入〉 一はたきぬ六ツ うす紅梅うらせんし 一天童のはたきぬ貳ツ 〈但縫はく裏同」内壹ツ縫はく施主」 御内…

米山寺文書8

八 泰雲様小早川隆景位牌免田畠打渡坪付写 自是寺領帳之分 松江之内立田 (六ヵ) 田中 田壹段貳畝廿歩 八斗七舛 太左衛門 かた田宮ノ前 堂之本 田七畝歩 九斗八舛 九郎兵衛 樋之坪 田貳段七畝歩 壹石三斗五舛 同 人 こも口 (マヽ) 樋之坪 田壹畝廿歩歩 壹…

中世における寺院の童について

丹生谷哲一「中世における寺院の童について」(『身分・差別と中世社会』塙書房、2005年、初出、大山喬平教授退官記念論集『日本社会の史的構造 古代・中世』思文閣出版、1997年) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の…

米山寺文書7

七 米山寺大寺分打渡坪付 米山寺 大寺分 畠三畝八歩 壹斗九升六合 与二郎 上ノ中 中ノ中六畝八歩 貳斗五舛 同 人 寺ノわき 中ノ中壹畝拾二歩 五舛六合 同 人 中ノ中六畝拾壹歩 貳斗五舛三合 同 人 壹畝あれ 壹舛五合 同 人 合畠数壹反八畝五歩 米七斗七舛 右…