(安芸)
去廿七日、至府中動之時、堀越在家令二放火一、同仁保嶋敵船一艘同[ ]者、引
(弘中越後守ヵ) (露候) (神妙ヵ) (被申旨候ヵ)
執之由[ ]注進慥令披⬜︎⬜︎、尤⬜︎⬜︎之由、能々可[ ]、恐々謹言、
(大永二年三月)(1522) (弘中)
[ ] 正長(花押)
(杉)(興)
⬜︎重(花押)
「書き下し文」
去んぬる廿七日、府中動きに至るの時、堀越の在家に放火せしむ、同じく仁保嶋の敵
船一艘・同じく[ ]は、引き執るの由弘中越後守注進し慥かに披露せしめ候ふ、
尤も神妙の由、能く能く申さるべき旨に候ふ、恐々謹言、
「解釈」
去る三月二十七日、安芸府中の戦に向かったとき、堀越の民家に放火させた。同じく仁保島の敵船一艘、同じく[ ]を奪い取ったことは、弘中越後守が注進してきた内容を、確かに大内義興様に披露しました。「いかにも感心なことである、とくれぐれも能美氏(仲次ヵ)に申し伝えられるべきだ」、という仰せです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「堀越」─現広島市南区堀越か。旧仁保島村(『広島県の地名』)。
「弘中越後守」─大内氏家臣。永正五年(一五〇八)、大内義興に従って上洛。山城守
護代(『戦国人名事典』)。