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周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

瑞夢連発!

  正長元年(一四二八)十月二十五日条 (『建内記』1─260頁)

 廿五日、

 昨夢 祖神社壇之躰也、弥憑神助者也、毎日看経念誦如例、

 今春予病氣之時分、阿弥陀三尊影向枕邊、(傍注)「其躰金色古佛之躰也、予所持之

 称光院殿拝領之善光寺如来之寸法聊相似者也、」予夢中随喜無極、今生擁護、後生往

 生極楽、来迎引接無疑者也、弥添信心之外無他、

  去八月十八日暁夢想、相国寺僧西堂也、二人、翼聖國師(傍注)「國師ハ予拜塔師

  也、」御位牌ヲ僧ノ傍ニ置テ、此僧告予曰、予之齢ヲ延長スル由ヲ翼聖國師ノ位牌

  ノ有仰云々、夢中随喜者也、自今春予違例、去夏三日病散々窮屈未休之時分、遇先

  帝悲哀心神惘然、今蒙此告、冥助之至炳焉、

   以次記瑞夢等者也、

 

 「書き下し文」

 廿五日、

 昨夢 祖神社壇の躰なり、弥神助を憑む者なり、毎日の看経・念誦例のごとし、今春

 予病気の時分、阿弥陀三尊枕辺りに影向す、「其の躰金色古仏の躰なり、予所持の称

 光院殿拝領の善光寺如来の寸法聊か相似たる者なり、」予夢中随喜すること無極、今

 生擁護、後生往生極楽、来迎引接疑い無き者なり、弥信心を添ふるの外他無し、

  去んぬる八月十八日暁に夢想す、相国寺僧「西堂なり」二人、翼聖国師国師は予

  拜塔の師なり、」御位牌を僧の傍に置きて、此の僧予に告げて曰く、予の齢を延長

  する由を翼聖国師の位牌の仰せ有りと云々、夢中随喜する者なり、今春より予違

  例、去んぬる夏三日病散々窮屈し未だ休まらざるの時分、先帝の悲哀に遇ひ心神

  然、今此の告を蒙り、冥助の至り炳焉、

   次いでを以って瑞夢等を記す者なり、

 

 「解釈」

 二十五日、昨夜の夢に祖神社(万里小路家の氏神社?)の姿が現れた。ますます神のお助けを当てにするものである。いつものように、毎日の看経・念誦をした。今春私が病気だったとき、阿弥陀三尊が枕元に姿を現した。「その姿は金色の古仏だった。私が持っている称光院殿から拝領した善光寺如来の寸法に少し似ているものだった。」私は夢の中でこのうえなく喜んだ。今生では仏に擁護され、来世では極楽に往生し、臨終に際して阿弥陀如来がお迎えに来ることは疑いないものである。ますます信仰の気持ちを加える以外のことはない。

 去る八月十八日の夜明け方に夢を見た。相国寺の僧侶(西堂)二人であった。翼聖国師国師は私の拝塔の師である」の御位牌を僧侶の傍らに置いて、この僧が私に告げて言うには、私の寿命を延長すると、絶海中津の御位牌が仰せになっているそうだ。夢の中で喜んだ。今春から私は病気だった。去る夏(八月?)の三日、病気で散々に疲労し、まだ病が治まらなかった時分に、称光天皇崩御に遭い、精神が呆然となった。今このお告げをいただき、神仏の助けの結果は明らかである。

 ついでに縁起の良い夢などを記したのである。

 

 「注釈」

「称光院殿」─称光天皇

「西堂」─他寺の住職の経歴をもつ僧で相国寺に来山した僧。

「翼聖國師」─絶海中津。室町前期の五山僧。等持寺・相国寺の住持を歴任。義堂周信

       とともに五山文学の双璧とされた(『角川日本史辞典』)。

「拝塔の師」─ある僧の示寂後にその塔を拝んで、その僧の法を嗣ぐこと。今回の場

       合、記主の万里小路時房が絶海中津の法を継いでいたことになります。

「先帝悲哀」─同年(正長元年)七月二十日、称光天皇崩御

 

*記主の時房が病気がちだったこの時期、瑞夢が連発しています。氏神阿弥陀三尊・

 絶海中津。医療は充実しておらず、早死にする人も多かった時代、信仰や夢のお告げ

 ほど頼りになるものはなかったのかもしれません。現代人のなかにも、氏神阿弥陀

 様・高僧の夢を見る方っていらっしゃるのでしょうか。

 

*大日本古記録『建内記』の解題より

 筆者は、勧修寺流藤原氏一門の氏長者、前内大臣万里小路時房(一三九四〜一四五

 七)の日記。蔵人頭・権中納言権大納言などを歴任した。