六 胤貞書状
(洞雲寺興雲)
住持 宗繁(花押)
尊書誠以忝畏入存候、抑對二當寺一 御判物爲二拜見一被レ懸二御意一候、謹而令レ
存二其旨一候、諸役等御免許之儀、御本意之至候、於二我等一茂珍重候、就レ中御茶
十袋不レ始二于今一御芳情候無二勿躰一候、猶御使僧仁申候之条、令二省略一候、此由
可レ得二御意一候、恐惶謹言、
卯月十八日 胤貞(花押)
洞雲寺 衣鉢侍者禅師 尊答
「書き下し文」
尊書誠に以て忝く畏れ入り存じ候ふ、抑も當寺に對して御判物拜見の爲御意に懸けられ候ふ、謹んで其の旨を存ぜしめ候ふ、諸役等御免許の儀、御本意の至りに候ふ、我らに於いても珍重に候ふ、なかんずく御茶十袋今に始まらず御芳情候ふ、勿体無く候ふ、猶ほ御使僧に申し候ふの状、省略せしめ候ふ、此の由御意を得べく候ふ、恐惶謹言、
「解釈」
あなた様のお手紙は、誠にありがたく恐縮しております。当寺に対して、御判物を拝見するために配慮してくださいました。そのお心遣いは謹んで存じ上げております。諸役などが御免除になった件は、あなた様のかねてからの大きな願いでした。我らもめでたいことだと思っております。とりわけ、御茶十袋は今に始まったことではないお心遣いで、感謝しております。なお、詳細はあなた様のご使僧に申しましたので、ここでは省略します。この件について、あなた様のお考えを伺うつもりでおります。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「御判物」─5号文書の大内義興安堵状のことか。そうであるなら、この文書も永正1
8年(1521)に比定できます。
「宗繁」─四世興雲宗繁。
「御使僧」─未詳。
「胤貞」─未詳。洞雲寺住持の補佐役、申次か。
「衣鉢侍者禅師」─未詳。「衣鉢」は袈裟と托鉢を受ける鉢のことで、修行者の常に携
えるものです。このような呼称の役僧がどのような役割を担ってい
たのかよくわかりません。ただ、次のような推測はできるかもしれ
ません。この文書の解釈が妥当なら、5号文書の「御判物」は「住
持」ではなく、「衣鉢侍者」が所持していて、その閲覧には「衣鉢
侍者」の許可がいることになります。充所が「住持」であっても、
「衣鉢侍者」が文書の保管をしていることになるので、所領の管理
をするのがその役割だったと考えられます。また、4号文書は洞雲
寺と小幡興行の相論の結果を伝えた大内氏奉行人連署書状ですが、
その充所も「衣鉢閣下」でした。このことから、「衣鉢閣下」は所
領相論などの訴訟の担当者として活動していたものと考えられま
す。
*ここに現れる三人の人物の関係性がいまいちよくわかりません。差出は「胤貞」とい
う人物ですが、袖に「洞雲寺住持宗繁」の花押が据えられているので、おそらく「胤
貞」は住持の補佐役のような人物なのでしょう。「衣鉢侍者」も「洞雲寺」という名
称を冠しているので、洞雲寺の役僧どうしで書状のやり取りをしているのだと考えら
れます。この時、「衣鉢侍者」は訴訟のために山口にいて、洞雲寺から離れていたた
め、このような書状が伝わったのかもしれません。