周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

洞雲寺文書31

   三一 吉川元春熊谷信直連署書状

 

 謹而令啓書候、抑今度櫻尾之儀奉憑候処、以御入魂御辛労候、

                  (毛利)

 難申尽候、仍當郡之内永興寺之事、元就隆元申聞被進置候、於我等

 悦候、爲後日一通并對両人添状進獻候、早速御知行肝要候、恐惶謹言、

     (天文二十三年)(1554)

      五月廿三日             元春(花押)

                        信直(花押)

 謹上 洞雲寺 衣鉢閣下

 

 「書き下し文」

 謹んで啓し書かしめ候ふ、抑今度櫻尾の儀憑み奉り候ふ処、御入魂を以って御辛労を

 成され候ふ、申し尽くし難く候ふ、仍って當郡の内永興寺の事、元就・隆元申し聞き

 進らせ置かれ候ふ、我等に於いて太だ悦び候ふ、後日の為一通并に両人に對し添状を

 進獻し候ふ、早速御知行肝要に候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 謹んで書き申し上げます。そもそも今度桜尾攻城の件で頼り申しげましたところ、御合力のためにご尽力なされました。感謝の気持ちは、言葉では申し尽くせません。そこで佐西郡内の永興寺のことですが、毛利元就・隆元がお聞きし、進上なされました。我らにおいても大変喜んでおります。後日の証拠のため、元就・隆元充行状一通とそれに対する我らの添状を進上します。速やかに御支配になることが大事です。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「櫻尾」─桜尾城。廿日市市桜尾本町。もと厳島神主の居城。天文二十年陶晴賢の弑逆

     に伴い、陶方の江良賢宣・毛利与三・己斐豊後守・新里若狭守が当城に置か

     れた。同二十三年毛利元就は桜尾城を接収し、同年の陶方との折敷畑合戦、

     翌弘治元年(一五五五)の厳島合戦には毛利軍の本陣となった。戦後は毛利

     氏の重臣桂元澄が城番を勤め、永禄十二年(一五六九)七月頃からは毛利元

     就の子穂田元清が城主となった。慶長五年(一六〇〇)毛利氏の防長移封以

     後、廃城となった(「桜尾城跡」『広島県の地名』)。天文二十三年五月十

     二日、毛利元就は陶方の兵を追って佐東金山・己斐・草津・桜尾の諸城を占

     拠し、厳島までもその手に収めてしまった(『広島県史』中世)。

「永興寺」─未詳。厳島社領内の寺院でしょうか。25・30号文書参照。

「元春」─吉川元春

「信直」─熊谷信直

「衣鉢侍者禅師」─六世大休登懌か。