周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書37

   三七 毛利輝元安堵状

 

 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領之事、任代々證文之

             (友田)

 旨諸役等令免許訖、并興藤寄進之地坪附別在之 等之事、以宗用和尚譲状之

 辻、執務領掌不相違之状如件、

    (1580)

    天正八年三月六日             右馬頭(花押)

     洞雲寺當住賢逹和尚

 

 「書き下し文」

 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領の事、代々の證文の旨に任せて諸役等免許せしめ訖んぬ、并に興藤寄進の地(割書)「坪附別に之在り」等の事、宗用和尚の譲状の辻を以て、執務領掌相違有るべからざるの状件のごとし、

 

 「解釈」

 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、もと圓満寺・薬師寺領、同永興寺領のこと。代々の証文の内容のとおりに、諸役等は免除させた。また友田興藤の寄進した土地(所在地と面積を記した注文は別にある)などのことは、先代の宗用和尚の譲状の内容によって、取り仕切り支配することに相違あるはずもない。安堵状は以上の通りである。

 

 「注釈」

「圓満寺」─廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)地域にあった中世の廃寺。現在も小字名として残る(『広島県の地名』)。

 

薬師寺」─円満寺と同様に、佐方にあった中世の廃寺か。

 

「永興寺」─未詳。厳島社領内の寺院でしょうか。

 

「興藤」─友田興藤。もと厳島神主。

 

「坪付」─田地の所在地と面積を条里制の坪にしたがって帳簿上に記載するもの(『古文書古記録語辞典』)。

 

「宗用和尚」─洞雲寺住持、九世全室宗用。

 

「辻」─よくわかりません。「物事の結果」(『日本国語大辞典』)という意味が最も近いように思いますが、「内容」ぐらいの意味でよいのではないでしょうか。

 

「賢逹和尚」─洞雲寺住持、十世梅菴賢達。