一五 吉見興滋書状(切紙)
(青景)(龍崎)
當御寺領内清末半名之事、被レ任二先證之旨一可レ有二御進退一之由、隆著隆輔申候
間、尤可レ然候、仍三十疋致二拜領一候、御懇之至忝候、此由猶御使僧可レ有二御披
露一候、可レ得二尊意一候、恐惶謹言、
(異筆)「天文拾年丑辛」
八月五日 興滋(花押)
洞雲寺
衣鉢侍者禅師 尊答
「書き下し文」
當御寺領内清末半名の事、先證の旨に任せられ、御進退有るべきの由、隆著・隆輔申し候ふ間、尤も然るべく候ふ、仍て三十疋拜領致し候ふ、御懇の至り忝く候ふ、此の由猶ほ御使僧御披露有るべく候ふ、尊意を得べく候ふ、恐惶謹言、
(1541)
(異筆)「天文拾年」 (以下略)
「解釈」
洞雲寺寺領内清末名のこと。以前の証文の内容のとおりに、御支配になるべきであると隆著と隆輔が申しておりますので、当然そのようにするべきです。そこで、三十疋を拝領致しました。この上ないお心遣いに恐縮しております。この件については、ご使僧がさらに御披露になるはずです。あなた様のお考えを伺いたいです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「清末半名」─廿日市市佐方字清末にあった名か。
「先證」─14号文書、友田興藤寄進状のことか。
「隆著」─青景隆著。大内氏の奉行人。
「隆輔」─龍崎隆輔。大内氏の奉行人。
「三十疋」─三百文。大内氏から安堵を得るために、奉行人の一人である吉見興滋に礼
銭(賄賂)として支払ったのではないでしょうか。この年に厳島社を実質
的に支配していた友田興藤が自害し、神主が佐伯景教(杉隆真)に代わっ
ているので、興藤が寄進した土地(14号文書)の安堵を改めて申請した
ものと考えられます。
「興滋」─吉見興滋。大内氏の奉行人。
「衣鉢侍者禅師」─洞雲寺住持、五世天菴宗春。