周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書16

   一六 大内氏奉行人連署書状

 

 當寺領内清末分事、厳島神主知行分相加候条、可如何与之通蒙仰候、無

         (安芸佐東郡                 景教

 余儀候、今度於金山落着候儀、失念候て書載候、此等之子細對神主申遣候

 間、不相違候、猶委細御使僧可申候、恐惶謹言、

     (天文十年)(1541)          (吉見)

      十二月十七日            興滋(花押)

                       (龍崎)

                        隆輔(花押)

                       (青景)

                        隆著(花押)

     洞雲寺 監寺禅師

 

 「書き下し文」

 當寺領内清末分の事、厳島神主知行分を相加へ候ふ条、如何有るべきかの通り仰せを

 蒙り候ふ、余儀無く候ふ、今度金山落着候ふ儀に於いて、失念候ひて書き載せ候ふ、

 此れ等の子細神主に對して申し遣わし候ふ間、相違有るべからず候ふ、猶ほ委細御使

 僧に申すべく候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 洞雲寺領内の清末名のこと。厳島神主が領有していた分を洞雲寺領に加えましたことについては、どのようになるのであろうかと洞雲寺住持宗春様からお尋ねがありました。これはまったくその通りです。今度金山城が落城した件で、このことを忘れて厳島社領として書き載せてしまいました。これらの細かい事情は神主へ申し遣わしますので、間違いはあるはずもありません。さらに詳細についてはご使僧が申し上げるはずです。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「可有如何与之通蒙仰候」

 ─書き下しも解釈も、まったくわかりません。

 

「金山」

 ─銀山城のことか。現在の安佐南区祇園町東山本・安古市町相田。安芸国守護武田氏の居城で中世の文献には「金山城」と記されているが、近世には銀山城の表記が多い。天文一〇年(1541)に大内氏の命を受けた毛利氏によって落城した。

 

「失念候て書載候」

 ─この解釈もよくわかりません。金山城攻めの混乱で、清末名安堵の申請を忘れてしまい、厳島社領として所領注文に誤って書き載せてしまった、ということでしょうか。

 

「神主」─厳島神主、佐伯景教(杉隆真)。

 

「監寺禅師」─未詳。禅宗で、一寺を統率する役僧のこと。都寺に次ぐ重役。